・・・わたしはスウィフトほど頭の好い一代の鬼才に生まれなかったことをひそかに幸福に思っている。 椎の葉 完全に幸福になり得るのは白痴にのみ与えられた特権である。如何なる楽天主義者にもせよ、笑顔に終始することの出来るものではない・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・今それを一つずつ私の日記を参考として、出来るだけ正確に、ここへ記載して御覧に入れましょう。 第一は、昨年十一月七日、時刻は略午後九時と九時三十分との間でございます。当日私は妻と二人で、有楽座の慈善演芸会へ参りました。打明けた御話をすれば・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・し、自己の生活を統一するに実業家のごとき熱心を有し、そうしてつねに科学者のごとき明敏なる判断と野蛮人のごとき卒直なる態度をもって、自己の心に起りくる時々刻々の変化を、飾らず偽らず、きわめて平気に正直に記載し報告するところの人でなければならぬ・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・今なら三千円ぐらいは素丁稚でも造作もなく儲けられるが、小川町や番町あたりの大名屋敷や旗下屋敷が御殿ぐるみ千坪十円ぐらいで払下げ出来た時代の三千円は決して容易でなかったので、この奇利を易々と攫んだ椿岳の奇才は天晴伊藤八兵衛の弟たるに恥じなかっ・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・であって、驚くべき奇才であるとは認めていたが、正直正太夫という名からして寄席芸人じみていて何という理由もなしに当時売出しの落語家の今輔と花山文を一緒にしたような男だろうと想像していた。尤もこういう風采の男だとは多少噂を聞いていたが、会わない・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・十一時四十七分が月の南中する時刻と本暦には記載されています。私はK君が海へ歩み入ったのはこの時刻の前後ではないかと思うのです。私がはじめてK君の後姿を、あの満月の夜に砂浜に見出したのもほぼ南中の時刻だったのですから。そしてもう一歩想像を進め・・・ 梶井基次郎 「Kの昇天」
・・・ されば堯典記載の天文が、今日の科學的進歩の結果と相合はず、その十二宮、二十八宿を東西南北の相稱的位置に排列せることが、天文の實際にあはざることも、もとより當然のことなり。この堯典の記事は天文の實地觀測に立脚せるものには非ずして、占星思・・・ 白鳥庫吉 「『尚書』の高等批評」
・・・文献にちゃんと記載されてあるのだ。 だぶりと水が動く。暗褐色のぬらりとしたものが、わずかに見えた。たしかだ。淀江村だ。いま見えたのは幅三尺の頭の一部にちがいない。私は窒息せんばかりに興奮した。見世物小屋から飛び出して、寒風に吹きまくられ・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・ 一日中に起った事柄の、どれを省略すべきか、どれを記載すべきか、その取捨の限度が、わからないのである。勢い、なんでもかでも、全部を書くことになって、一日かいて、もうへとへとになるのである。正確に書きたいと思うから、なるべくは眠りに落ちる・・・ 太宰治 「作家の像」
・・・しかし国語や記載科学の素養が足りなかったので、しばらくアーラウの実科中学にはいっていた。わずかに十六歳の少年は既にこの時分から「運動体の光学」に眼を付け初めていたという事である。後年世界を驚かした仕事はもうこの時から双葉を出し初めていたので・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
出典:青空文庫