・・・昨日も妙な着物を着ているから、それは何だねと訊いて見ると、占城という物だと答えるじゃないか? 僕の友だち多しといえども、占城なぞという着物を着ているものは、若槻を除いては一人もあるまい。――まずあの男の暮しぶりといえば、万事こういった調子な・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・ 草原の中の道がだんだん太くなって国道に続く所まで来た頃には日は暮れてしまっていた。物の輪郭が円味を帯びずに、堅いままで黒ずんで行くこちんとした寒い晩秋の夜が来た。 着物は薄かった。そして二人は餓え切っていた。妻は気にして時々赤坊を・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ その時何と思ったか、犬は音のしないように娘の側へ這い寄ったと思うと、着物の裾を銜えて引っ張って裂いてしまって、直ぐに声も出さずに、苺の木の茂って居る中へ引っ込んだ。娘は直ぐに別荘に帰って、激した声で叫んだ。「喰付く犬が居るよ。お母あさ・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・ とこの八畳で応じたのは三十ばかりの品のいい男で、紺の勝った糸織の大名縞の袷に、浴衣を襲ねたは、今しがた湯から上ったので、それなりではちと薄ら寒し、着換えるも面倒なりで、乱箱に畳んであった着物を無造作に引摺出して、上着だけ引剥いで着込ん・・・ 泉鏡花 「縁結び」
・・・そこに着物などほしかけて女がひとり洗濯をやっていた。これが予のいまおる宿である。そして予はいま上代的紅顔の美女に中食をすすめられつついる。予はさきに宿の娘といったが、このことばをふつうにいう宿屋の娘の軽薄な意味にとられてはこまる。 予の・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
・・・十 椿岳の畸行作さんの家内太夫入門・東京で初めてのピヤノ弾奏者・椿岳名誉の琵琶・山門生活とお堂守・浅草の畸人の一群・椿岳の着物・椿岳の住居・天狗部屋・女道楽・明治初年の廃頽的空気 負け嫌いの椿岳は若い時か・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 女房は夢の醒めたように、堅い拳銃を地に投げて、着物の裾をまくって、その場を逃げ出した。 女房は人けのない草原を、夢中になって駈けている。ただ自分の殺した女学生のいる場所からなるたけ遠く逃げようとしているのである。跡には草原の中に赤・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・ そのとき、のぶ子は、お人形の着物をきかえさせて、遊んでいましたが、それを手放して、すぐにお母さまのそばへやってきました。「わたしをかわいがってくださったお姉さんから、送ってきたのですか?」と、のぶ子はいいました。「ああ、そうだ・・・ 小川未明 「青い花の香り」
・・・「お前さん、こんなとこで寝るのに着物を着て寝る者があるもんですか。褌一筋だって、肌に着けてちゃ、螫られて睡られやしない、素裸でなくっちゃ……」 なるほど、そう言われて気をつけて見ると、誰も誰も皆裸で布団に裹まって、木枕の間から素肌が・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・と自分で叫びながら、漸く、向うの橋詰までくると、其処に白い着物を着た男が、一人立っていて盛に笑っているのだ、おかしな奴だと思って不図見ると、交番所の前に立っていた巡査だ、巡査は笑いながら「一体今何をしていたのか」と訊くから、何しろこんな、出・・・ 小山内薫 「今戸狐」
出典:青空文庫