・・・ 教育家としてこの上の成功はないサ。父兄からは十二分の信用と尊敬とを得て何か込み入ったことはみんな君のところへ相談に来て君の判断を仰ぐ。僕は今の教育家にこういう例はあまりなかろうと思う。そこで僕は思った、僕に天才があろうがなかろうが、成功し・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・恋愛の陶酔から入って、それからさめて、甘い世界から、親としてのまじめな養育、教育のつとめに移って行く。スイートホームというけれども、恋愛の甘さではなく、こうなってから初めて夫婦愛が生まれてくる。子どもを可愛がる夫婦というのはよそ目にも美しく・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・少々の銭を残してやるよりや、教育をつけてやっとく方が、どんだけ為めになるやら分らせん。村の奴等が、どう云おうがかもうたこっちゃない。庄屋の旦那に銭を出して貰うんじゃなし、俺が、銭を出して、俺の子供を学校へやるのに、誰に気兼ねすることがあるか・・・ 黒島伝治 「電報」
・・・ 女は上機嫌になると、とかくに下らない不必要なことを饒舌り出して、それが自分の才能ででもあるような顔をするものだが、この細君は夫の厳しい教育を受けてか、その性分からか、幸にそういうことは無い人であった。純粋な感謝の念の籠ったおじぎを一つ・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・山崎のお母さんというのは相当教育のある人で、息子たちのしている事を、気持からばかりでなしに、ちアんとした筋道を通しても知っていた。「息子が正しい理窟から死んでも自分の仕事をやめないと分ったら、親がその仕事の邪魔をするのが間違で――どうしても・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・北村君は十一の年までは小田原にいて、非常に厳格な祖父の教育の下に、成長した。祖母という人は、温順な人ではあったが、実の祖母では無くて、継祖母であった。北村君自身の言葉を借りて云えば、不覊磊落な性質は父から受け、甚だしい神経質と、強い功名心と・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・また過去の私が経歴と言っても、十一二歳のころからすでに父母の手を離れて、専門教育に入るまでの間、すべてみずから世波と闘わざるを得ない境遇にいて、それから学窓の三四年が思いきった貧書生、学窓を出てからが生活難と世路難という順序であるから、切に・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・去歳の春、始めて一書を著わし、題して『十九世紀の青年及び教育』という。これを朋友子弟に頒つ。主意は泰西の理学とシナの道徳と並び行なうべからざるの理を述ぶるにあり。文辞活動。比喩艶絶。これを一読するに、温乎として春風のごとく、これを再読するに・・・ 田口卯吉 「将来の日本」
・・・医学の為とか、あるいは学校の教育資料とか何とか、そんな事なら話はわかるが、道楽隠居が緋鯉にも飽きた、ドイツ鯉もつまらぬ、山椒魚はどうだろう、朝夕相親しみたい、まあ一つ飲め、そんなふざけたお話に、まともにつき合っておられますか。酔狂もいい加減・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・特に言語などを機械的に暗記する事の下手な彼には当時の軍隊式な詰め込み教育は工合が悪かった。これに反して数学的推理の能力は早くから芽を出し初めた。計算は上手でなくても考え方が非常に巧妙であった。ある時彼の伯父に当る人で、工業技師をしているヤー・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
出典:青空文庫