・・・「ドッコイショ――と」 天秤の下に肩を入れたが、三四日も寝ていたせいか、フラフラして腰がきれなかった。「くそッ」 踏んばって二度目に腰を切ると、天秤がギシリ――としなって、やがて善ニョムさんは腰で調子をとりながら、家の土橋を・・・ 徳永直 「麦の芽」
・・・されども能くその萌芽を出して立派に生長すると否らざるとは、単に手入れの行届くと行届かざるとに依るなり。即ち培養の厚薄良否に依るというも可なり。いわゆる教育なるものは則ち能力の培養にして、人始めて生まれ落ちしより成人に及ぶまで、父母の言行によ・・・ 福沢諭吉 「家庭習慣の教えを論ず」
・・・の謂にして、あるいは才学の抜群なるあり、あるいは資産の非常なるあり、皆以て身の重きを成して自信自重の資たるべきものなれども、就中私徳の盛んにしていわゆる屋漏に恥じざるの一義は最も恃むべきものにして、能くその徳義を脩めて家内に恥ずることなく戸・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・ところにして、また事柄は異なれども、天下の政権武門に帰し、帝室は有れども無きがごとくなりしこと何百年、この時に当りて臨時の処分を謀りたらば、公武合体等種々の便利法もありしならんといえども、帝室にして能くその地位を守り幾艱難のその間にも至尊犯・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・そしてホッと息をついてしばらくそらを向いて腹をこすってから、又少し糸をはきました。そして網が一まわり大きくなりました。 蜘蛛はそして葉のかげに戻って、六つの眼をギラギラ光らせてじっと網をみつめて居りました。「ここはどこでござりまする・・・ 宮沢賢治 「蜘蛛となめくじと狸」
・・・「ドレミファもくそもあるか。」「ええ、外国へ行く前にぜひ一度いるんです。」「外国もくそもあるか。」「先生どうかドレミファを教えてください。わたしはついてうたいますから。」「うるさいなあ。そら三べんだけ弾いてやるからすんだ・・・ 宮沢賢治 「セロ弾きのゴーシュ」
・・・「狐こんこん狐の子、狐の団子は兎のくそ。」 すると小狐紺三郎が笑って云いました。「いいえ、決してそんなことはありません。あなた方のような立派なお方が兎の茶色の団子なんか召しあがるもんですか。私らは全体いままで人をだますなんてあん・・・ 宮沢賢治 「雪渡り」
・・・れたのであるが、日本におけるヒューマニズムの文学が提唱後四年経た今日に至っても未だ一種模糊退嬰の姿におかれているのは、社会情勢によるとは云え、その出発に於て、プロレタリア文学の蓄積と方向とを否定しつよくそれと対立しつつ、悪化する情勢には受動・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・ 大きい方の弟が、牧場の土のところどころにある黒い堆積をさして、「ねえ、あれ、牛のべたくそ?」と大きな声できいた。「そうですよ」 一緒に牛をみている女中が、のんびりした調子で答えた。 すると、下の弟が、「べたくそ・・・ 宮本百合子 「道灌山」
・・・夜が明け初めると間もなくその日は晴れ渡るであろう。山々の枯れた姿の上には緑色の霞が流れていた。いつもの雀は早くから安次の新しい小屋の藁条を抜きとっては巣に帰った。が、一疋の空腹な雀は、小屋の前に降りると小刻みに霜を蹴りつつ、垂れ下った筵戸の・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫