・・・これは自分でそう感じるだけでなく、人が見てもそう見えるそうであるから実際客観的生理的に若干の差違があることには間違いないと思われる。 しかし、自分の場合にそうであるとしても、すべての老人にそうであるかどうかそれはもちろんわからない。それ・・・ 寺田寅彦 「映画と生理」
・・・そうして、いつのまにか映画と実際との二つの世界の間を遠く隔てる本質的な差違を忘れてしまっているのである。あらゆる映画の驚異はここに根ざしこの虚につけ込むものである。従って未来の映画のあらゆる可能性もまたこの根本的な差違の分析によって検討され・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・しかしそういう装置を使っているだけに、摂氏一度だけの高低が人間の感覚にいかなる程度の差違となって表われるかということが、かなり明瞭に意識されているようであった。 今から数年前三越かどこかで、風呂の湯の温度を見るための寒暖計を見付けて買っ・・・ 寺田寅彦 「家庭の人へ」
・・・三角な茎をさいて方形の枠形を作るというむつかしい幾何学の問題を無意識に解いて、そしてわれわれの空間の微妙な形式美を味わっている事には気がつかないでいた。相撲取草を見つけて相撲を取らせては不可解な偶然の支配に対する怪訝の種を小さな胸に植えつけ・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
・・・月見草がさいていた。「これから夏になると、それあ月がいいですぜ」桂三郎はそう言って叢のなかへ入って跪坐んだ。 で、私も青草の中へ踏みこんで、株に腰をおろした。淡い月影が、白々と二人の額を照していた。どこにも人影がみえなかった。対岸の・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・もし陛下の御身近く忠義こうこつの臣があって、陛下の赤子に差異はない、なにとぞ二十四名の者ども、罪の浅きも深きも一同に御宥し下されて、反省改悟の機会を御与え下されかしと、身を以て懇願する者があったならば、陛下も御頷きになって、我らは十二名の革・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・くろい、あごのしゃくれた小さい顔は、あらわに敵意をみせていた。女は一度もふりむかないけれど、うしろを意識している気ぶりは、うしろ姿のどこにもあらわれている。裾をけひらくような特徴のある歩き方、紅と紫のあわせ帯をしているすらッとした腰のへん。・・・ 徳永直 「白い道」
・・・暢春医院の庭には池があって、夏の末には紅白の蓮の花がさいていた。その頃市中 わたくしは三カ月ほど外へ出たことがなかったので、人力車から新橋の停車場に降り立った時、人から病人だと思われはせぬかと、その事がむやみに気まりがわるく、汽車に乗込・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・唯仔細に研究し来って今と昔との間にやや差異のあるが如く思われるのは、仮借の方法と模倣の精神とに関して、一はあくまで真率であり、一は甚しく軽浮である。一は能く他国の文化を咀嚼玩味して自己薬籠中の物となしたるに反して、一は徒に新奇を迎うるにのみ・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・今日チェルシーに来て倫敦の方を見るのは家の中に坐って家の方を見ると同じ理窟で、自分の眼で自分の見当を眺めると云うのと大した差違はない。しかしカーライルは自ら倫敦に住んでいるとは思わなかったのである。彼は田舎に閑居して都の中央にある大伽藍を遥・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
出典:青空文庫