・・・そこからは、死生を賭する如き真摯なる信念は出て来ないであろう。実在は我々の自己の存在を離れたものではない。然らばといって、たといそれが意識一般といっても主観の綜合統一によって成立すると考えられる世界は、何処までも自己によって考えられた世界、・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・ニイチェは如何にその師匠に叛逆し、昔の先生を「老いたる詐欺師」と罵つたところで、結局やはりショーペンハウエルの変貌した弟子にすぎない。彼はショーペンハウエルが揚棄した意志を、他の一端で止揚したまでである。あの小さな狡猾さうな眼をした、梟のや・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・即ち今の有婦の男子が花柳に戯るゝが如き不品行を警しめたるものならんなれども、人間の死生は絶対の天命にして人力の及ぶ所に非ず。昨日の至親も今日は無なり。既に無に帰したる上は之を無として、生者は生者の謀を為す可し。死に事うること生に事うるが如し・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・子生るれば、父母力を合せてこれを教育し、年齢十歳余までは親の手許に置き、両親の威光と慈愛とにてよき方に導き、すでに学問の下地できれば学校に入れて師匠の教を受けしめ、一人前の人間に仕立ること、父母の役目なり、天に対しての奉公なり。子の年齢二十・・・ 福沢諭吉 「中津留別の書」
・・・天下の人皆病毒に感ず、流行病は天下の流行にして、西洋諸国また然りとのことなれば、もはや我が身も自ら顧みるに遑あらず、共にその毒に伝染して広く世界の人と病苦死生を与にすべしとて、自暴自棄する者あるべきや。我輩未だその人を見ざるのみならず、その・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・お話が古くなっていけないというので墨水師匠などはなるたけ新しい処を伺うような訳ですが手前の処はやはりお古い処で御勘弁を願いますような訳で、たのしみはうしろに柱前に酒左右に女ふところに金とか申しましてどうしてもねえさんのお酌でめしあがらないと・・・ 正岡子規 「煩悶」
・・・或るよく晴れた日、須利耶さまは都に出られ、童子の師匠を訪ねて色々礼を述べ、また三巻の粗布を贈り、それから半日、童子を連れて歩きたいと申されました。 お二人は雑沓の通りを過ぎて行かれました。 須利耶さまが歩きながら、何気なく云われます・・・ 宮沢賢治 「雁の童子」
・・・ 私はパパ、ママはいけないという松田文相の小学放送の試みや、ラジオにでるにはなかなかお金がかかるんでねえと打ちかこった或る長唄の師匠の言葉などを思い出しながら、その声をきいているのであった。 聴取料が五十銭になったことは、ラジオに対・・・ 宮本百合子 「或る心持よい夕方」
さきごろは「鉛筆詩抄」を頂きまことにありがとうございました。 この前、鉛筆の詩を拝見したときから、わたしに感銘されていた詩の精神が、ここに集められているすべての詩のなかにこもっています。日本にも、生活そのものの中から、・・・ 宮本百合子 「鉛筆の詩人へ」
・・・を中心として、去年秋満州掠奪戦争がはじまってからの「死傷者の数」「軍費」その他中華ソヴェト、ソヴェト同盟の第二次五ヵ年計画の紹介などが書かれていたのである。「先月号あたりっから、まるで男の雑誌とかわりないようんなった……」 パラパラ・・・ 宮本百合子 「刻々」
出典:青空文庫