・・・二階は三畳の間が二間、四畳半が一間、それから八畳か十畳ほどの広い座敷には、寝台、椅子、卓子を据え、壁には壁紙、窓には窓掛、畳には敷物を敷き、天井の電燈にも装飾を施し、テーブルの上にはマッチ灰皿の外に、『スタア』という雑誌のよごれたのが一冊載・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・細君の用いた寝台がある。すこぶる不器用な飾り気のないものである。 案内者はいずれの国でも同じものと見える。先っきから婆さんは室内の絵画器具について一々説明を与える。五十年間案内者を専門に修業したものでもあるまいが非常に熟練したものである・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・処が実際はそうでは無かった。身代を皆食いつぶしていたのだ。其後熊本に居る時分、東京へ出て来た時、神田川へ飄亭と三人で行った事もあった。これはまだ正岡の足の立っていた時分だ。 正岡の食意地の張った話というのは、もうこれ位ほか思い出せぬ。あ・・・ 夏目漱石 「正岡子規」
・・・それから寝台を離れて顔を洗う台の前へ立った。これから御化粧が始まるのだ。西洋へ来ると猫が顔を洗うように簡単に行かんのでまことに面倒である。瓶の水をジャーと金盥の中へあけてその中へ手を入れたがああしまった顔を洗う前に毎朝カルルス塩を飲まなけれ・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・深谷が寝台から下りてスリッパを履いて、便所に行くらしく出て行った。 安岡の眼は冴えた。彼は、何を自分の顔の辺りに感じたかを考え始めた。 ――人の息だった。体温だった。だが、この部屋には深谷と自分とだけしかいない。深谷がおれの寝息をう・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・ 赤石山の、てっぺんへ、寝台へ寝たまま持ち上げられた、胃袋の形をしたフェットがあった。 時代は賑かであった。新聞は眩しいほど、それ等の事を並べたてた。 それは、富士山の頂上を、ケシ飛んで行く雲の行き来であった。 麓の方、巷や・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・すなわち他にあらず、身代の貧乏、これなり。およそ日本国中の人口三千四、五百万、戸数五、六百万の内、一年に子供の執行金五十円ないし百円を出して差支なき者は、幾万人もあるべからず。一段下りて、本式の学問執行は手に及ばぬことなれども、月に一、二十・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・世の開るにしたがい、不善の輩もしたがって増し、平民一人ずつの力にては、その身を安くし、その身代を護るに足らず。ここにおいて一国衆人の名代なる者を設け、一般の便不便を謀て政律を立て、勧善懲悪の法、はじめて世に行わる。この名代を名づけて政府とい・・・ 福沢諭吉 「中津留別の書」
・・・「寝台附の車というのはこれだな。こんな風に寐たり起きたりしておれば汽車の旅も楽なもんだ。この辺の両側の眺望はちっとも昔と変らないヨ。こんな煉瓦もあったヨ。こんな庭もあったヨ。松が四、五本よろよろとして一面に木賊が植えてある、爰処だ爰・・・ 正岡子規 「初夢」
・・・その時はちょうど一時半、オツベルは皮の寝台の上でひるねのさかりで、烏の夢を見ていたもんだ。あまり大きな音なので、オツベルの家の百姓どもが、門から少し外へ出て、小手をかざして向うを見た。林のような象だろう。汽車より早くやってくる。さあ、まるっ・・・ 宮沢賢治 「オツベルと象」
出典:青空文庫