・・・ 金属と油脂類との間の吸着力の著しいことは日常の経験からもよく知られている。真鍮などのみがいた鏡面を水で完全に湿すのが困難であるのは、目に見えない油脂の皮膜のためである。こういう皮膜がいわゆる boundary lubrication ・・・ 寺田寅彦 「鐘に釁る」
・・・皮製で財布のような恰好をした煙草入れに真鍮の鉈豆煙管を買ってもらって得意になっていた。それからまた胴乱と云って桐の木を刳り抜いて印籠形にした煙草入れを竹の煙管筒にぶら下げたのを腰に差すことが学生間に流行っていて、喧嘩好きの海南健児の中にはそ・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・銃口にはめた真鍮の蓋のようなものを注意して見ているうちに、自分が中学生のとき、エンピール銃に鉛玉を込めて射的をやった事を想い出した。単純に射的をやる道具として見た時に鉄砲は気持のいいものである。しかしこれが人を殺すための道具だと思って見ると・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・明治時代の吉原とその附近の町との情景は、一葉女史の『たけくらべ』、広津柳浪の『今戸心中』、泉鏡花の『註文帳』の如き小説に、滅び行く最後の面影を残した。 わたくしが弱冠の頃、初めて吉原の遊里を見に行ったのは明治三十年の春であった。『たけく・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・夏の夜の月円きに乗じて、清水の堂を徘徊して、明かならぬ夜の色をゆかしきもののように、遠く眼を微茫の底に放って、幾点の紅灯に夢のごとく柔かなる空想を縦ままに酔わしめたるは、制服の釦の真鍮と知りつつも、黄金と強いたる時代である。真鍮は真鍮と悟っ・・・ 夏目漱石 「京に着ける夕」
・・・あれでも万事整頓していたら旦那の心持と云う特別な心持になれるかも知れんが、何しろ真鍮の薬缶で湯を沸かしたり、ブリッキの金盥で顔を洗ってる内は主人らしくないからな」と実際のところを白状する。「それでも主人さ。これが俺のうちだと思えば何とな・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・わぬ顔ですうと抜けて行く、間の抜さ加減は尋常一様にあらず、この時派出やかなるギグに乗って後ろから馳け来りたる一個の紳士、策を揚げざまに余が方を顧みて曰く大丈夫だ安心したまえ、殺しやしないのだからと、余心中ひそかに驚いて云う、して見ると時には・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・しまいに肩にかけた箱の中から真鍮で製らえた飴屋の笛を出した。「今にその手拭が蛇になるから、見ておろう。見ておろう」と繰返して云った。 子供は一生懸命に手拭を見ていた。自分も見ていた。「見ておろう、見ておろう、好いか」と云いながら・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・但し記者が此不和不順を始めとして、以下憤怒怨恨誹謗嫉妬等、あらん限りの悪事を書並べて婦人固有の敗徳としたるは、其婦人が仮令い之を外面に顕わさゞるも、心中深き処に何か不平を含み、時として之を言行に洩らすことありとて、其心事微妙の辺を推察したる・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・徒に我身中の美を吹聴するは、婦人に限らず誰れも慎しむ可きことなり。一 下部あまた召使とも万の事自から辛労を忍て勤ること女の作法也。舅姑の為に衣を縫ひ食を調へ、夫に仕て衣を畳み席を掃き、子を育て汚を洗ひ、常に家の内に居て猥に外へ出・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
出典:青空文庫