・・・会い度くば幾度にても逢る、又た逢える筈の情縁あらば如斯な哀しい情緒は起らぬものである。別れたる、離れたる親子、兄弟、夫婦、朋友、恋人の仲間の、逢いたき情とは全然で異っている、「縁あらばこの世で今一度会いたい」との願いの深い哀しみは常に大友の・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
・・・選択愛憎等の情緒的な心情もアプリオリの内容を持ち、「心情の秩序」が存在する。道徳価値の把握は知的作用によらず、情緒的な直覚によって価値感知されるのである。これがシェーラーのいわゆる情緒的直覚主義の立場である。シェーラーはさらに価値の等級を直・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・プラトンのように寓話的なもの、ショウペンハウエルのように形而上学的なもの、エレン・ケイのような人格主義的なもの、フロイドのように生理・心理学的なもの、スタンダールのように情緒的直観的のもの、コロンタイのように階級的社会主義的のもの、その他幾・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・こうしたやさしき情緒の持主なればこそ、われわれは彼の往年の猛烈な、火を吐くような、折伏のための戦いを荒々しと見ることはできないのである。また彼のすべての消息を見て感じることはその礼の行きわたり方である。今日日蓮の徒の折伏にはこの礼の感じの欠・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・はじめて例の著書が出版された当時、ある雑誌の上で長々と批評して、「ツルゲネエフの情緒あって、ツルゲネエフの想像なし」と言ったのは、この青木という男である。青木は八時頃に帰った。それから相川は本を披けて、畳の上に寝ころびながら読み初めた。種々・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・なんの情緒も無かった。 宿へ帰ったのは、八時すぎだった。私は再び、さむらいの姿勢にかえって、女中さんに蒲団をひかせ、すぐに寝た。明朝は、相川へ行ってみるつもりである。夜半、ふと眼がさめた。ああ、佐渡だ、と思った。波の音が、どぶんどぶんと・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・顔から生れる、いろいろの情緒、ロマンチック、美しさ、激しさ、弱さ、あどけなさ、哀愁、そんなもの、眼鏡がみんな遮ってしまう。それに、目でお話をするということも、可笑しなくらい出来ない。 眼鏡は、お化け。 自分で、いつも自分の眼鏡が厭だ・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・な人ではなかったのである。すべての自然の風景を、理智に依って遮断し、取捨し、いささかも、それに溺れることなく、謂わば「既成概念的」な情緒を、薔薇を、すみれを、虫の声を、風を、にやりと薄笑いして敬遠し、もっぱら、「我は人なり、人間の事とし聞け・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・充分な情緒と了解をもってモザルト、シューマン、バッハなどを演奏する……。」 私が初めてアインシュタインの写真を見たのはK君のところでであった。その時に私達は「この顔は夢を見る芸術家の顔だ」というような事を話し合った。ところがこの英国の新・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・「一般に剽窃について云々する場合に忘れてならないのは、感覚と情緒を有する限りすべての人は絶えず他人から補助を受けているという事である。人々はその出会うすべての人から教えられ、その途上に落ちているあらゆる物によって富まされる。最大なる人は・・・ 寺田寅彦 「浅草紙」
出典:青空文庫