・・・どこまで駈けても、高粱は尽きる容子もなく茂っている。人馬の声や軍刀の斬り合う音は、もういつの間にか消えてしまった。日の光も秋は、遼東と日本と変りがない。 繰返して云うが、何小二は馬の背に揺られながら、創の痛みで唸っていた。が、彼の食いし・・・ 芥川竜之介 「首が落ちた話」
・・・入口の前には一年生であろう、子供のような生徒が六七人、人馬か何かして遊んでいたが、先生の姿を見ると、これは皆先を争って、丁寧に敬礼する。毛利先生もまた、入口の石段の上にさした日の光の中に佇んで、山高帽をあげながら笑って礼を返しているらしい。・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・円錐形にそびえて高く群峰を抜く九重嶺の裾野の高原数里の枯れ草が一面に夕陽を帯び、空気が水のように澄んでいるので人馬の行くのも見えそうである。天地寥廓、しかも足もとではすさまじい響きをして白煙濛々と立ちのぼりまっすぐに空を衝き急に折れて高嶽を・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・神酒をいただきつつ、酒食のたぐいを那処より得るぞと問うに、酒は此山にて醸せどその他は皆山の下より上すという。人馬の費も少きことにはあらざるべきに盛なることなり。この山是の如く栄ゆるは、ここの御神の御使いの御狗というを四方の人々の参り来て乞い・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・薄暗い廊下をとおり、五つか六つ目の左側の部屋のドアに、陣場という貴族の苗字が記されてある。「陣場さん!」と私は大声で、部屋の中に呼びかけた。 はあい、とたしかに答えが聞えた。つづいて、ドアのすりガラスに、何か影が動いた。「やあ、・・・ 太宰治 「メリイクリスマス」
・・・ 西北隣のロシアシベリアではあいにく地震も噴火も台風もないようであるが、そのかわりに海をとざす氷と、人馬を窒息させるふぶきと、大地の底まで氷らせる寒さがあり、また年を越えて燃える野火がある。決して負けてはいないようである。 中華民国・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
・・・論より証拠、先ず試みに『詩経』を繙いても、『唐詩選』、『三体詩』を開いても、わが俳句にある如き雨漏りの天井、破れ障子、人馬鳥獣の糞、便所、台所などに、純芸術的な興味を托した作品は容易に見出されない。希臘羅馬以降泰西の文学は如何ほど熾であった・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・ 日は暮れ果てて黒き夜の一寸の隙間なく人馬を蔽う中に、砕くる波の音が忽ち高く聞える。忽ち聞えるは始めて海の鳴るにあらず、吾が鳴りの暫らく已んで空しき心の迎えたるに過ぎぬ。この浪の音は何里の沖に萌してこの磯の遠きに崩るるか、思えば古き響き・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・そして最後に、漸く人馬の足跡のはっきりついた、一つの細い山道を発見した。私はその足跡に注意しながら、次第に麓の方へ下って行った。どっちの麓に降りようとも、人家のある所へ着きさえすれば、とにかく安心ができるのである。 幾時間かの後、私は麓・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・店には明るくネオン燈がついて、一秒ごとに石でこさえたふくろうの赤い眼が、くるっくるっとうごいたり、いろいろな宝石が海のような色をした厚い硝子の盤に載って星のようにゆっくり循ったり、また向う側から、銅の人馬がゆっくりこっちへまわって来たりする・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
出典:青空文庫