・・・かず枝は、すしを食いたい、と言いだした。嘉七は、すしは生臭くて好きでなかった。それに今夜は、も少し高価なものを食いたかった。「すしは、困るな。」「でも、あたしは、たべたい。」かず枝に、わがままの美徳を教えたのは、とうの嘉七であった、・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・ 三鷹駅ちかくの、すし屋にはいった。酒をくれ。なんという、だらしない言葉だ。酒をくれ。なんという、陳腐な、マンネリズムだ。私は、これまで、この言葉を、いったい何百回、何千回、繰りかえしたことであろう。無智な不潔な言葉である。いまの時勢に・・・ 太宰治 「鴎」
・・・警察、病院、事務所、応接室なぞは洋館の背景一つで間に合いますし、また、云々。』――『チャプリン氏を総裁に創立された馬鹿笑いクラブ。左記の三十種の事物について語れば、即時除名のこと。四十歳。五十歳。六十歳。白髪。老妻。借銭。仕事。子息令嬢の思・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ 夜、ひとり机に頬杖ついて、いろんなことを考えて、苦しく、不安になって、酒でも呑んでその気持を、ごまかしてしまいたくなることが、時々あって、そのときには、外へ出て、三鷹駅ちかくの、すしやに行き、大急ぎで酒を呑むのであるが、そんなときには・・・ 太宰治 「酒ぎらい」
・・・三鷹駅前のおでん屋、すし屋などで、実にしばしば酒を飲んだ。三田君は、酒を飲んでもおとなしかった。酒の席でも、戸石君が一ばん派手に騒いでいた。 けれども、戸石君にとっては、三田君は少々苦手であったらしい。三田君は、戸石君と二人きりになると・・・ 太宰治 「散華」
・・・ その夜は、三鷹、吉祥寺のおでんや、すし屋、カフェなど、あちこちうろついて頼んでみても、どこにも酒が一滴も無かった。やはり、菊屋に行くより他は無い。少からず、てれくさい思いであったが、暴虎馮河というような、すさんだ勢いで、菊屋へ押しかけ・・・ 太宰治 「未帰還の友に」
・・・ 目に煙がはいったときや、わさびのきき過ぎたすしを食ったときにこぼす涙などは上記のものとは少し趣を異にするようである。それからまた、胃の洗滌をすると言って長いゴム管を咽喉から無理に押し込まれたとき、鼻汁といっしょにたわいなくこぼれる涙に・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・出るときにはやはりすしづめの人々を押し分けて出なければならないのである。わずかに一階を上がるだけならば、何もわざわざ満員の昇降機によらなくても、各自持ち合わせの二本の足で上がったらよさそうにも思われる。自分の窮屈は自分で我慢すればそれでいい・・・ 寺田寅彦 「蒸発皿」
・・・たしかその時にすしのごちそうになった。自分はちっとも気がつかなかったが、あとで聞いたところによると、先生が海苔巻にはしをつけると自分も海苔巻を食う。先生が卵を食うと自分も卵を取り上げる。先生が海老を残したら、自分も海老を残したのだそうである・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・天プラや、すしなどがあんなに恐ろしい鬼気をもって人に迫り得るという事を始めてこの画から教えられる。 このままでだんだんに進んで行くところまで行ったら意外な面白いところに到達する可能性があるかもしれない。 中川紀元氏の今年の裸体は・・・ 寺田寅彦 「二科会その他」
出典:青空文庫