・・・尤も大井愛といったような姓名だと Oo I Ai で少し短かすぎ、また Ty So Ga Be Ta R Za E Mon では少しごたごたし過ぎるかもしれない。但し、漢字でかくのと大した変りはない。それにしても日本の学者の論文が外国に紹介・・・ 寺田寅彦 「KからQまで」
・・・ 警官は電車を待たさないために車掌の姓名を自署さしてすぐに帰した。それから私に「貴方御いそぎですか」と聞いた。私はこの警官に対して何となくいい感じを懐くと同時に自分の軽率な行為を恥じる心がかなり強く起った。 ここで自白しなければなら・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ある研究所の廊下に所員の姓名を記した木の札が掛け並べてある。片側は墨で片側は朱で書いてあるのを、出勤したときは黒字の方を出し、帰るときは裏返して朱字の方を出しておくのである。粗末な白木の札であるから新入りでない人の札はみんな手垢で薄黒く汚れ・・・ 寺田寅彦 「雑記帳より(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・もう少し行くと路地の角の塀に掛けた居住者姓名札の中に「寒川陽光」とあるのが突然眼についた。そのすぐ向う側に寒川氏の家があって、その隣が子規庵である。表札を見ると間違いはないのであるが、どういうものか三十年前の記憶とだいぶちがうような気がする・・・ 寺田寅彦 「子規自筆の根岸地図」
・・・ちょうどおひろが高脚のお膳を出して、一人で御飯を食べているところで、これでよく生命が続くと思うほど、一と嘗めほどのお菜に茄子の漬物などで、しょんぼり食べていた。店の女たちも起きだして、掃除をしていた。「独りで食べてうまいかね」「わた・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・しかしながら当局者はよく記臆せなければならぬ、強制的の一致は自由を殺す、自由を殺すはすなわち生命を殺すのである。今度の事件でも彼らは始終皇室のため国家のためと思ったであろう。しかしながらその結果は皇室に禍し、無政府主義者を殺し得ずしてかえっ・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・の態度を持すと声明していた。尤もそれを信用する争議団員は一人もありはしなかったが……しかし、モウ今日では、利平達は、社長の唯一の手足であり、杖であった。会社の浮沈を我身の浮沈と考えていた。彼等は争議団員中の軟派分子を知っていた。またいろいろ・・・ 徳永直 「眼」
・・・人はその生命の終らぬ中から早く忘れられて行く。その事に思い至れば、生もまたその淋しい事において、甚しく死と変りがないのであろう。 ○ オペラ館の楽屋口に久しく風呂番をしていた爺さんがいた。三月九日の夜に死んだか・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・梨花淡白柳深青 〔梨花は淡白にして柳は深青柳絮飛時花満城 柳絮の飛ぶ時 花 城に満つ惆悵東欄一樹雪 惆悵す 東欄一樹の雪人生看得幾清明 人生 看るを得るは幾清明ぞ〕 何如璋は明治の儒者文人の間には重・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・然し松方山本二氏の姓名の永くわが文化史上に記録せられべきものたることは言うを俟たない。 大正八年の秋始て帝国劇場に於てオペラを演奏した芸人の一座は其本国を亡命した露西亜人によって組織せられていた。露西亜は欧米の都会に在ってさえ人々の常に・・・ 永井荷風 「帝国劇場のオペラ」
出典:青空文庫