・・・それの草稿が遺族の手もとにそのままに保存されていたのを同氏没後満三十年の今日記念のためにという心持ちでそっくりそれを複製して、これに原文のテキストと並行した小泉一雄氏の邦文解説を加えさらに装幀の意匠を凝らしてきわめて異彩ある限定版として刊行・・・ 寺田寅彦 「小泉八雲秘稿画本「妖魔詩話」」
・・・一度草稿を作ってその通りのものを丹念に二度書き上げたものは、もはや半分以上魂の抜けたものになるのは実際止み難い事である。津田君はそういう魂のないものを我慢して画く事の出来ぬ性の人であるから、たとえ幾枚画き改めたところで遂に「仕上げ」の出来る・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・ 室の片すみのデスクの上に論文の草稿のようなものが積み上げてある。ここで毎日こうして次の論文の原稿を書いていたのかと思って、その一枚を取り上げてなんの気なしにながめていたら、N教授がそれに気づくと急いでやって来て自分の手からひったくるよ・・・ 寺田寅彦 「B教授の死」
・・・わたくしは此のたびの草稿に於ては、明治年間の東京を説くに際して、寡聞の及ぶかぎり成るべく当時の人の文を引用し、之に因って其時代の世相を窺知らしめん事を欲しているのである。 松子雁の饒歌余譚に曰く「根津ノ新花街ハ方今第四区六小区中ノ地ニ属・・・ 永井荷風 「上野」
・・・ わたしは古机のひきだしに久しく二、三の草稿を蔵していた。しかしいずれも凡作見るに堪えざる事を知って、稿半にして筆を投じた反古に過ぎない。この反古を取出して今更漉返しの草稿をつくるはわたしの甚忍びない所である。さりとて旧友の好意を無にす・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・ただ余の出立の朝、君は篋底を探りて一束の草稿を持ち来りて、亡児の終焉記なればとて余に示された、かつ今度出版すべき文学史をば亡児の記念としたいとのこと、及び余にも何か書き添えてくれよということをも話された。君と余と相遇うて亡児の事を話さなかっ・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・ただに兄のみならず、前年の養子が朝野に立身して、花柳の美なる者を得れば、たちまち養家糟糠の細君を厭い、養父母に談じて自身を離縁せよ放逐せよと請求するは、その名は養家より放逐せられたるも、実は養子にして養父母を放逐したるものというべし。「父子・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・久しく世人の知らざるところなりしかども、今日また徳教論の再発にさいし、その贈書の草稿を左に記して、読者の参考に供す。 書翰過般、御送付相成候『倫理教科書』の草案、閲見、少々意見も有之、別紙に認候。妄評御海恕被下度、・・・ 福沢諭吉 「読倫理教科書」
・・・もぶり鮓の竹皮包みを手拭にてしばりたるがまさに抜け落ちんとするを平気にて提げ、大分酔がまわったという見えで千鳥足おぼつかなく、例の通り木の影を踏んで走行いて居る。左側を見渡すと限りもなく広い田の稲は黄色に実りて月が明るく照して居るから、静か・・・ 正岡子規 「句合の月」
・・・材料 蕪村は狐狸怪をなすことを信じたるか、たとい信ぜざるもこの種の談を聞くことを好みしか、彼の自筆の草稿新花摘は怪談を載すること多く、かつ彼の句にも狐狸を詠じたるもの少からず。公達に狐ばけたり宵の春飯盗む狐追ふ声・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
出典:青空文庫