・・・「占いですか? 占いは当分見ないことにしましたよ」 婆さんは嘲るように、じろりと相手の顔を見ました。「この頃は折角見て上げても、御礼さえ碌にしない人が、多くなって来ましたからね」「そりゃ勿論御礼をするよ」 亜米利加人は惜・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・電車がそりゃこむもんだから。」 お絹はやはり横坐りのまま、器用に泥だらけの白足袋を脱いだ。洋一はその足袋を見ると、丸髷に結った姉の身のまわりに、まだ往来の雨のしぶきが、感ぜられるような心もちがした。「やっぱりお肚が痛むんでねえ。――・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・ 矢部は父のあまりの素朴さにユウモアでも感じたような態度で、にこやかな顔を見せながら、「そりゃ……しかしそれじゃ全く開墾費の金利にも廻りませんからなあ」 と言ったが、父は一気にせきこんで、「しかし現在、そうした売買になってる・・・ 有島武郎 「親子」
・・・「何という人だ。名札はあるかい。」「いいえ、名札なんか用りません。誰も知らないもののない方でございます。ほほほ、」「そりゃ知らないもののない人かも知れんがね、よそから来た私にゃ、名を聞かなくっちゃ分らんじゃないか、どなただよ。」・・・ 泉鏡花 「縁結び」
・・・「先生さまなどにゃおかしゅうござりましょうが、いま先生が水が黒いとおっしゃりますから、わし子どものときから聞いてることを、お笑いぐさに申しあげます」 かれはなおにこにこ笑ってる。「そりゃ聞きたい、早く聞かしてくれ」「へい、そ・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
・・・「随分手柄のあった人どす、なア」と、細君は僕の方に頸を動かした。「そりゃア」と、僕が話しかける間もなく、友人は言葉をついだ。「思て見ると、僕は独立家屋のそばまで後送して呉れた跡で、また進んで行て例の『沈着にせい、沈着にせい』をつ・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・「調戯じゃない。君と僕とドッチが先きへ死ぬか、年からいったって解るじゃないか。」「そりゃア解ってるさ。君のようにむやみと薬を飲むカラダじゃないからね。年なんかアテにならん。僕がアトへ残るのは知れ切ってる。こりゃあマジメだよ、君が死ね・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・こうやってトドの究りは、どこかの果の土になるんだ。そりゃまあいいが、旅で死んだ日にゃ犬猫も同じで、死骸も分らなけりゃ骨も残らねえ――残しておいてもしようがねえからね。すると、まるで私というものは影も形もなしに、この永え間の娑婆からずッと消え・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・私もまた少しは同情を惹く意味でか、ずいぶんとそりゃ女に語ったものです。もっとも同情を惹くといっても、哀れっぽく持ちだすなど気性からいってもできなかった。どうせ不景気な話だから、いっそ景気よく語ってやりましょう、子供のころでおぼえもなし、空想・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・「私もそりゃ、最初から貴方を車夫馬丁同様の人物と考えたんだと、そりゃどんな強い手段も用いたのです。がまさかそうとは考えなかったもんだから、相当の人格を有して居られる方だろうと信じて、これだけ緩慢に貴方の云いなりになって延期もして来たよう・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
出典:青空文庫