・・・人は、無稽の幽冥説に惑溺すること、はなはだ少なしといえども、その、これに惑溺せざるは、ただ一時仏者に敵するの熱心に乗じたるものにして、天然の真理原則を推究したる知識の働に非ざるがゆえに、幽冥説に向って淡白なるほどに、物理においてもまた自から・・・ 福沢諭吉 「物理学の要用」
・・・桟橋の句が落ちつかぬのは余り淡泊過ぎるのだから、今少し彩色を入れたら善かろうと思うて、男と女と桟橋で別を惜む処を考えた。女は男にくっついて立って居る。黙って一語を発せぬ胸の内には言うに言われぬ苦みがあるらしい。男も悄然として居る。人知れず力・・・ 正岡子規 「句合の月」
・・・○くだものの嗜好 菓物は淡泊なものであるから普通に嫌いという人は少ないが、日本人ではバナナのような熱帯臭いものは得食わぬ人も沢山ある。また好きという内でも何が最も好きかというと、それは人によって一々違う。柿が一番旨いという人もあれば、柿・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・「そこで、澱粉と脂肪と蛋白質と、この成分の大事なことはよくおわかりになったでしょう。 こんどはどんなたべものに、この三つの成分がどんな工合に入っているか、それを云います。凡そ、食物の中で、滋養に富みそしておいしく、また見掛けも大へん・・・ 宮沢賢治 「茨海小学校」
・・・然しながらもし蛋白質と脂肪とについて考えるならば何といっても植物性のものは消化が悪い。単に分析表を見て牛肉と落花生と営養価が同じだと云って牛肉の代りにそっくり豆を喰べるというわけにはいかない。人によっては植物蛋白を殆んど消化しないじゃないか・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
〔冒頭原稿一枚?なし〕以外の物質は、みなすべて、よくこれを摂取して、脂肪若くは蛋白質となし、その体内に蓄積す。」とこう書いてあったから、農学校の畜産の、助手や又小使などは金石でないものならばどんなものでも片っ端から、持っ・・・ 宮沢賢治 「フランドン農学校の豚」
・・・兄妹がいて、それぞれ学校生活をしていたり勤めたりしている人たちでも、なかなか互の友人たちを家庭の内で紹介しあって、淡白に愉快につき合ってゆくという習慣はできていない。家庭の雰囲気と若い男女たちの生活感情との間に見えないギャップがあって、相当・・・ 宮本百合子 「異性の友情」
・・・類型的でなくなる努力、淡泊さ、見栄え等を本当のものにする精進、性の上から来る色々の欠陥と不自由、それから脱出する苦悶――女性は芸術の種を実に沢山持ってはいるが、然しそれを植えつけ、花にすることの困難をもっています。其処に女性として永久的な苦・・・ 宮本百合子 「今日の女流作家と時代との交渉を論ず」
・・・一人二人の校長の狂信めいた昨今のものの見かたそのものより、それは異常であるという事を当然忠告すべきであるのに、何となし淡白に云い出しかねさせる空気が社会にあることを重大に戒心しなくてはならないと思う。 もしそんな度はずれな思いつきが実現・・・ 宮本百合子 「今日の生活と文化の問題」
・・・を云々する内容、傾向とはその社会的性質に於て遙かに淡白な作家気質によったのであった。横光利一氏が本年一月『改造』に発表した「厨房日記」は日本的なるものとして又人間の知性の完全無欠な形として、封建時代の義理人情を随喜渇仰する小説であって、常識・・・ 宮本百合子 「今日の文学の鳥瞰図」
出典:青空文庫