・・・入谷の朝顔と団子坂の菊人形の衰微は硯友社文学とこれまたその運命を同じくしている。向島の百花園に紫や女郎花に交って西洋種の草花の植えられたのを、そのころに見て嘆く人のはなしを聞いたことがあった。 銀座通の繁華が京橋際から年と共に新橋辺に移・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・懸茶屋には絹被の芋慈姑の串団子を陳ね栄螺の壼焼などをも鬻ぐ。百眼売つけ髭売蝶売花簪売風船売などあるいは屋台を据ゑあるいは立ちながらに売る。花見の客の雑沓狼藉は筆にも記しがたし。明治三十三年四月十五日の日曜日に向嶋にて警察官の厄介となりし者酩・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・横になって煖まりながらいろいろ考えて居たが、この家の檐から庭の樹から一面に毬燈を釣って、その下へ団子屋や鮓屋や汁粉屋をこしらえて、そしてこの二、三間しかない狭い庭で園遊会を開いたら面白いだろうという事を考えついた。〔自筆稿『ホトトギス』・・・ 正岡子規 「熊手と提灯」
・・・祖母の云うのはみんな北海道開拓当時のことらしくて熊だのアイヌだの南瓜の飯や玉蜀黍の団子やいまとはよほどちがうだろうと思われた。今日学校へ行って武田先生へ行くと云って届けたら先生も大へんよろこんだ。もうあと二人足りないけれども定員を超えたこと・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・去年の秋、僕が蕎麦団子を食べて、チブスになって、ひどいわずらいをしたときに、あれほど親身の介抱を受けながら、その恩を何でわすれてしまうもんかね。」「そうか。そんなら一つお前さん、ゴム靴を一足工夫して呉れないか。形はどうでもいいんだよ。僕・・・ 宮沢賢治 「蛙のゴム靴」
・・・ 表通りと云っても、家よりは空地の方が多く、団子坂を登り切って右に曲り暫く行くと忽ち須藤の邸の杉林が、こんもり茂って蒼々として居た。間に小さく故工学博士渡辺 渡邸を挾んで、田端に降る小路越しは、すぐ又松平誰かの何万坪かある廃園になって居・・・ 宮本百合子 「犬のはじまり」
・・・観潮楼から斜かいにその頃は至って狭く急であった団子坂をよこぎって杉林と交番のある通りへ入ったところから、私は毎朝、白山の方へ歩いて行ったのであった。 最近、本を読んで暮すしか仕方のない生活に置かれていた時、私は偶然「安井夫人」という鴎外・・・ 宮本百合子 「鴎外・漱石・藤村など」
・・・雛鶏と家鴨と羊肉の団子とを串した炙き串三本がしきりに返されていて、のどかに燃ゆる火鉢からは、炙り肉のうまそうな香り、攣れた褐色の皮の上にほとばしる肉汁の香りが室内に漂うて人々の口に水を涌かしている。 そこで百姓のぜいたくのありたけがシュ・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・その屋号であった。その団子坂上の質商であったことは伝に云うが如くである。是阿弥の妻をぎんと云って、その子を佐平と云った。また佐平に息真太郎、女啓があった。然るに佐平もその子女も先ず死して、未亡人ぎんが残った。これが崖上の家の女主人であった。・・・ 森鴎外 「細木香以」
・・・汽車で上野に着いて、人力車を倩って団子坂へ帰る途中、東照宮の石壇の下から、薄暗い花園町に掛かる時、道端に筵を敷いて、球根からすぐに紫の花の咲いた草を列べて売っているのを見た。子供から半老人になるまでの間に、サフランに対する智識は余り進んでは・・・ 森鴎外 「サフラン」
出典:青空文庫