・・・文章も三誦すべく、高き声にて、面白いぞ――は、遠野の声を東都に聞いて、転寝の夢を驚かさる。白望の山続きに離森と云う所あり。その小字に長者屋敷と云うは、全く無人の境なり。茲に行きて炭を焼く者ありき。或夜その小屋の垂菰をかかげて、内を覗・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
・・・然るに文学上の労力がイツマデも過去に於ける同様の事情でイクラ骨を折っても米塩を齎らす事が無かったなら、『我は米塩の為め書かず』という覚悟が無意味となって、或は一生涯文学に志ざしながら到頭文学の為め尽す事が出来ずに終るかも知れぬ。 過去に・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・ たとえば、この間、大阪も到頭こんな姿になり果てたのかと、いやらしい想いをしながら、夜の闇市場で道に迷っている時、ふと片隅の暗がりで、蛍を売っているのを見た。二匹で五円、闇市場の中では靴みがきに次ぐけちくさい商内だが、しかし、暗がりの中・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・朝までに出来る積りだったが、到頭今まで掛った。顔も洗わずに飛んで来た」「顔も洗わずに結婚式を挙げるのは、君ぐらいのものだ。まアいい。さア行こう」 と、手を取ると、「一寸待ってくれ。これから中央局へ廻ってこの原稿を速達にして来なく・・・ 織田作之助 「鬼」
一 ざまあ見ろ。 可哀相に到頭落ちぶれてしまったね。報いが来たんだよ。良い気味だ。 この寒空に縮の単衣をそれも念入りに二枚も着込んで、……二円貸してくれ。見れば、お前じゃないか。……声まで顫えて・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・「やア。到頭トランクの主が見つかった」 一階の第一スタジオの前のホールで放送の済むのを待っていると、階段を降りて来た演芸係長の佐川が、赤井を見つけて、「おやッ、珍らしい。赤団治さんじゃありませんか」 と、寄って来た。色の白い・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・それに、ふと手離すのが惜しくなって、――というのは、私もまた武田さんの驥尾に附してその時計を机の上にのせて置きたくて、到頭送らずじまいになってしまった。 九月の十日過ぎに私はまた上京した。武田さんを訪問すると、留守だった。行方不明だとい・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・の主人は腕を離すと妙に改まって頭を下げ、「頑張らせて貰いましたおかげで、到頭元の喫茶をはじめるところまで漕ぎつけましてん。今普請してる最中でっけど、中頃には開店させて貰いま」 そして、開店の日はぜひ招待したいから、住所を知らせてくれ・・・ 織田作之助 「神経」
・・・この界隈はまだ追剥や強盗の噂も聴かないが、年の暮と共に到頭やって来たのだろうか。そう思いながら、足袋のコハゼを外したままの恰好で、玄関へ降りて行った。 そっと戸を敲いている。「電報ですか」「…………」返辞がない。 家の三軒向・・・ 織田作之助 「世相」
・・・一日二円たらずの収入で、毎日三円の仁丹では、暮らして行けぬのか、到頭パトロンを作った。ある日、私に葉巻をくれた。そのパトロンに貰ったのだろう。ロンドという一本十銭の葉巻だった。吸ってみると、白粉の匂いがした。化粧品と一緒にハンドバッグに入っ・・・ 織田作之助 「中毒」
出典:青空文庫