・・・それからまた半月ばかりの後、千枝子夫婦は夫の任地の佐世保へ行ってしまったが、向うへ着くか着かないのに、あいつのよこした手紙を見ると、驚いた事には三度目の妙な話が書いてある。と云うのは千枝子夫婦が、中央停車場を立った時に、夫婦の荷を運んだ赤帽・・・ 芥川竜之介 「妙な話」
・・・ 無事、任地に着きました。 大いなる文学のために、 死んで下さい。 自分も死にます、 この戦争のために。 死んで下さい、というその三田君の一言が、私には、なんとも尊く、ありがたく、うれしくて、たまらなかったのだ。これ・・・ 太宰治 「散華」
・・・の時、父母と一緒にはじめて東京の、この家に帰り、祖父は、それまで一人牛込に残って暮していたのですが、もう、八十すぎの汚いおじいさんになっていて、私はまた、それまでお役人の父が浦和、神戸、和歌山、長崎と任地を転々と渡り歩いているのについて歩い・・・ 太宰治 「誰も知らぬ」
・・・それが私生児であるがために始めのうちは、父親の芸術の世界でこれを自分の子供として認知する、しないの問題も起こったのである。しかし今ではこれを立派な嫡子として認めない人はおそらくないであろう。 オペラが総合芸術だと言われた時代があった。し・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・東京の医師に診てもらうために出て来て私のうちで数日滞在してから、任地近くの海岸へしばらく療養に行っていたが、どうもはかばかしくないので、学校を休職して郷里の浜べに二年余り暮らした。天気がいいと油絵のスケッチに出たりしていたようである。ほんと・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・みわは十七位のとき、まだ赤坊であった佐和子の世話をして、これもまだ若夫婦であった両親と任地の北海道まで行った。三十年位の歳月は一方に別荘を作らせたが、みわには額の皺とただ一枚の白い前掛を遺したに過ぎぬように感じられた。しかもみわは、もっと若・・・ 宮本百合子 「海浜一日」
・・・新婚後東京の夫の任地へ行くらしい。 沢山の見送りが来て居る。その前で、彼女はさも輝やかしそうに見える。落着いて、さも安んじた心持で居るように微笑――得意な幾分女性の傲慢もそなえた――をうかべながら、かるく頭を下げながら、挨拶をして居る。・・・ 宮本百合子 「「禰宜様宮田」創作メモ」
・・・ 技師の細君で、夫の任地の九州へ独り行く。その途中寄ったのであった。 尾世川は、そのひとの為に、謂わば職を失ったのであった。女も、いろいろ空想し、彼の許へ来て見たが結局どうにもならず、おとなしく夫の処へ行くしかない。そういう事情らし・・・ 宮本百合子 「帆」
・・・閭が長安で主簿の任命を受けて、これから任地へ旅立とうとしたとき、あいにくこらえられぬほどの頭痛が起った。単純なレウマチス性の頭痛ではあったが、閭は平生から少し神経質であったので、かかりつけの医者の薬を飲んでもなかなかなおらない。これでは旅立・・・ 森鴎外 「寒山拾得」
・・・その男の卒業して直ぐの任地が新発田だったのだ。御承知のような土地柄だろう。裁判所の近処に、小さい借屋をして、下女を一人使っていた。同僚が妻を持てと勧めても、どうしても持たない。なぜだろう、なぜだろうと云ううちに、いつかあれは吝嗇なのだという・・・ 森鴎外 「独身」
出典:青空文庫