発端 肥後の細川家の家中に、田岡甚太夫と云う侍がいた。これは以前日向の伊藤家の浪人であったが、当時細川家の番頭に陞っていた内藤三左衛門の推薦で、新知百五十石に召し出されたのであった。 ところが寛文七年の・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・ そこで肝腎の話と云うのは、その新蔵と云う若主人が二十三の夏にあった事で、当時本所一つ目辺に住んでいた神下しの婆の所へ、ちと心配な筋があって、伺いを立てに行ったと云う、それが抑々の発端なのです。何でも六月の上旬ある日、新蔵はあの界隈に呉・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・ そういう発端で明日矢部と会見するに当たっての監督としての位置と仕事とを父は注意し始めた。それは懇ろというよりもしちくどいほど長かった。監督はまた半時間ぐらい、黙ったまま父の言いつけを聞かねばならなかった。 監督が丁寧に一礼して部屋・・・ 有島武郎 「親子」
・・・静岡の何でも町端れが、その人の父が其処の屋敷に住んだところ、半年ばかりというものは不思議な出来事が続け様で、発端は五月頃、庭へ五六輪、菖蒲が咲ていたそうでその花を一朝奇麗にもぎって、戸棚の夜着の中に入れてあった。初めは何か子供の悪戯だろうく・・・ 泉鏡花 「一寸怪」
・・・ 十年許り前に親父が未だ達者な時分、隣村の親戚から頼まれて余儀なく買ったのだそうで、畑が八反と山林が二町ほどここにあるのである。この辺一体に高台は皆山林でその間の柵が畑になって居る。越石を持っていると云えば、世間体はよいけど、手間ばかり・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ 女は二十二三でもあろうか、目鼻立ちのパラリとした、色の白い愛嬌のある円顔、髪を太輪の銀杏返しに結って、伊勢崎の襟のかかった着物に、黒繻子と変り八反の昼夜帯、米琉の羽織を少し抜き衣紋に被っている。 男はキュウと盃を干して、「さあお光・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ まずこれを今の武蔵野の秋の発端として、自分は冬の終わるころまでの日記を左に並べて、変化の大略と光景の要素とを示しておかんと思う。九月十九日――「朝、空曇り風死す、冷霧寒露、虫声しげし、天地の心なお目さめぬがごとし」同二十一日―・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・私は、八端の黒い風呂敷を持って、まちへ牛肉を買いに行き、歩きながら、いろいろ考えごとをしていて、ふと気がつくと、風呂敷が無い。落したのだ、と思ってしまって、すぐ引きかえし、あちこち見廻しながら歩いていると、よその小さい若いおかみさんが、風呂・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・この世の中に生れて来たのがそもそも、間違いの発端と知るべし。Alles Oder Nichts イブセンの劇より発し少しずつヨオロッパ人の口の端に上りしこの言葉が、流れ流れて、今では、新聞当選のたよりげなき長編小説の中にまで・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・簡単にすみそうな物語なら、その場で順々に口で言って片附けてしまうのであるが、発端から大いに面白そうな時には、大事をとって、順々に原稿用紙に書いて廻すことにしている。そのような、かれら五人の合作の「小説」が、すでに四、五篇も、たまっている筈で・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
出典:青空文庫