・・・大正十二年の開会日は朝ひどい驟雨があって、それが晴れると蒸暑くなって、竹の台の二科会場で十一時五十八分の地震に出遇ったのであった。そうして宅へ帰ったら瓦が二、三枚落ちて壁土が少しこぼれていたが、庭の葉鶏頭はおよそ天下に何事もなかったように真・・・ 寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」
・・・大正十二年の開会日は朝ひどい驟雨があって、それが晴れると蒸し暑くなって、竹の台の二科会場で十一時五十八分の地震に出会ったのであった。そうして宅へ帰ったら瓦が二三枚落ちて壁土が少しこぼれていたが、庭の葉鶏頭はおよそ天下に何事もなかったように真・・・ 寺田寅彦 「からすうりの花と蛾」
・・・しかしいつなんどき晴れるかもしれないから、だれか一人は交代の不寝番で空を見張っていなければならない。燈火が暗いから読書や書きものもぐあいがよくない。ラジオを聞いたらいいではないかといったら、電池を消耗するから時報と天気予報以外は聞かないのだ・・・ 寺田寅彦 「小浅間」
・・・しかも、その嫌疑が造作もなく晴れるようではこの「与太者ユーモレスク、四幕、十一景」は到底引き延ばせるはずがないので、それで、この嫌疑をなるべく濃厚に念入りにするために色々と面倒な複雑なメカニズムが考案されなければならないのである。こういう考・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・妙に生温かい、晴れるかと思うと大きな低い積雲が海の上から飛んで来てばらばらと潮っぽい驟雨を降らせる天候であった。ホテルのポルチエーが自分を小蔭へ引っぱって行って何かしら談判を始める。晩に面白いタランテラの踊りへ案内するから十時に玄関まで出て・・・ 寺田寅彦 「二つの正月」
・・・ 翌朝は高い二階の上から降るでもなく晴れるでもなく、ただ夢のように煙るKの町を眼の下に見た。三人が車を並べて停車場に着いた時、プラットフォームの上には雨合羽を着た五六の西洋人と日本人が七時二十分の上り列車を待つべく無言のまま徘徊していた・・・ 夏目漱石 「初秋の一日」
・・・いったいこの雨があしたのうちに晴れるだなんてことがあるだろうか。ああどうでもいい、なるようになるんだ。あした雨が晴れるか晴れないかよりも、今夜ぼくが…………を一足つくれることのほうがよっぽどたしかなんだから。・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・僕たちがこれをやってる間はよく晴れるんだ。冬ならば咽喉を痛くするものがたくさん出来る。けれどもそれは僕等の知ったことじゃない。それから五月か六月には、南の方では、大抵支那の揚子江の野原で大きなサイクルホールがあるんだよ。その時丁度北のタスカ・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・またすぐ晴れる。ああ心配した。おれも虎こ山の下まで行って見で来た。はあ、まんつよがった。雨も晴れる。」「けさほんとに天気よがったのにな。」「うん。またよぐなるさ、あ、雨漏って来たな。」 一郎のにいさんが出て行きました。天井がガサ・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・またすぐ晴れる。おらも弁当食うべ。ああ心配した。俺も虎こ山の下まで行って見で来た。はあ、まんつ好がった。雨も晴れる。」「今朝ほんとに天気好がったのにな。」「うん。また好ぐなるさ。あ、雨漏ってきた。草少し屋根さかぶせろ。」 兄さん・・・ 宮沢賢治 「種山ヶ原」
出典:青空文庫