・・・私は、その筆致に、どこやらヂッケンスを偲びましたが、ヂッケンスの自然描写にも、遙かに、絵にまさるものがあったように思います。それは文字であらわす方が、時間的にも、生動する姿を捉え得るためです。 しかし、この種の味のあるものとしては、レム・・・ 小川未明 「読むうちに思ったこと」
・・・ その小説は、外地へ送られる船の中で知り合った人の奥さんを、作者の武田さんが東京へ帰ってから訪ねて行くという話で、淡々とした筆致の中に弥生さんというひとの姿を鮮かに泛び上らせていた。話そのものは味が淡く、一見私小説風のものだが、私はふと・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・私は笑えなかったが、日本の春画がつねにユーモラスな筆致で描かれている理由を納得したと思った。「リアリズムの極致なユーモアだよ」とその当時私は友人の顔を見るたび言っていたが、無論お定の事件からこんな文学論を引き出すのは、脱線であったろう。・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ほどの迫力はないが、吉田栄三の芸を想わせる渋い筆致と、自然主義特有の「あるがまま」の人生観照が秋声ごのみの人生を何の誇張もなく「縮図」している見事さは、市井事もの作家の武田麟太郎氏が私淑したのも無理はないと思われるくらいで、僕もまたこのよう・・・ 織田作之助 「文学的饒舌」
・・・だから彼は、威海衛の大攻撃を叙するにあたって熱を帯びた筆致を駆使し得ているのである。そして、彼が軍艦に乗り組んでそこでの生活を目撃しながら、その心眼に最もよく這入ったものは、士官若しくはそれ以上の人々の生活と、その愉快なことゝ、戦争の爽快さ・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・ 第三巻 この巻には、井伏さんの所謂円熟の、悠々たる筆致の作品三つを集めてみた。 どの作品に於ても、読者は、充分にたんのうできる筈である。 例によって、個々の作品の批評がましいことは避けて、こんども私自身の思・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・青や朱や黄の顔料の色の美しいあざやかさと、古雅な素朴な筆致とは思いのほかのものであった。そこには少しもある暗い恐ろしさがなかった。 少し喘息やみらしい案内者が No time, Sir ! と追い立てるので、フォーラムの柱の列も陳列館の・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・一立斎広重の板画について、雪に埋れた日本堤や大門外の風景をよろこぶ鑑賞家は、鏡花子の筆致のこれに匹如たることを認めるであろう。 鉄道馬車が廃せられて電車に替えられたのは、たしか明治三十六年である。世態人情の変化は漸く急激となったが、しか・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・クリスマスの夜の空に明月を仰ぎ、雪の降る庭に紅梅の花を見、水仙の花の香をかぐ時には、何よりも先に宗達や光琳の筆致と色彩とを思起す。秋冬の交、深夜夢の中に疎雨斑々として窓を撲つ音を聞き、忽然目をさまして燈火の消えた部屋の中を見廻す時の心持は、・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・も郊外の風景その物を写生する目的ではないが、今から五、六十年前 Louis-Philippe 王政時代の巴里の市民が狭苦しい都会の城壁を越えて郊外の森陰を散歩し青草の上で食事をする態をば滑稽なる誇張の筆致を以てその小説中に描いたのである。そ・・・ 永井荷風 「夏の町」
出典:青空文庫