・・・ 昔は水戸様から御扶持を頂いていた家柄だとかいう棟梁の忰に思込まれて、浮名を近所に唄われた風呂屋の女の何とやらいうのは、白浪物にでも出て来そうな旧時代の淫婦であった。江戸時代の遺風としてその当時の風呂屋には二階があって白粉を塗った女が入・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・戦争の時、死ぬ為に、平生から扶持を受けてる人達とは違ってよ。兄さん自分から好んで、』 強い咳払いを一つ、態と三つまで続けて、其女の方の言葉を紛らそうとしたのは、其兄上らしい三十近い兵士さんでした。それで、其兵士の顔には、他の人への羞しい・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・中津の旧藩士も藩と共に運動する者なれども、或は藩中に居てかえって自からその動くところの趣に心付かず、不知不識以て今日に至りし者も多し。独り余輩は所謂藩の岸上に立つ者なれば、望観するところ、或は藩中の士族よりも精密ならんと思い、聊かその望観の・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・また人の口にし耳にするを好まざる所のものなれば、ややもすれば不知不識の際にその習俗を成しやすく、一世を過ぎ二世を経るのその間には、習俗遂にあたかもその時代の人の性となり、また挽回すべからざるに至るべし。往古、我が王朝の次第に衰勢に傾きたるも・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・被原爆地に、眼病のなかでも不治とされる「そこひ」が発生していると報ぜられている。 日本の一部の人々は、あんまり度々いや応なしに戦争にかりたてられてきたために、神経衰弱のようになっていて、しんから戦争をさけたいと思っているときでも、ちょっ・・・ 宮本百合子 「いまわれわれのしなければならないこと」
・・・ 財産についての観念も、扶持もちの侍と喜助とでは全く別世界のものである。 鴎外は、歴史小説という意味では、「高瀬舟」の中に、このいずれの点をも追究していない。作者としての主観にいきなり立って、財産についての観念、ユウタナジイの問題に・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・けれども、配給とりも直さず万事あてがい扶持で、唯々諾々と生きる無気力の習性となるなら、それは堕落と云われなければならない。私たちは自分たちの世代において文化を堕落させたという責を、愛する後代から指摘されることは欲していないのである。〔一九四・・・ 宮本百合子 「今日の生活と文化の問題」
・・・ いたましいことであって、意外に感ぜずにはいられないほど多いのは、呼吸器病患者の歌である。不治を覚悟しての床上で詠んだ、複雑な、又徹底した、その人のその境地を外にしては詠めないと思われる歌が実に多い。 更にいたましいのは、全生病院の・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・ 竹内てるよさんは、カリエスという病が不治であることのため徹也という愛児をおいて家を去り、貧窮の底をくぐって、今は、療養の伴侶であり、友である神谷暢氏と夫婦でない、結婚生活でない共同生活を十三年営んでおられる。「苦しみぬき、もま・・・ 宮本百合子 「『静かなる愛』と『諸国の天女』」
・・・ アパート生活と一人の女の人の生活とは結びつけられるものだが、そのアパートの一室一室に棲んでいる人が、どんな気持で住んでいるかと云えば不知不識のうち、今のアパート暮しは一時的なものという気持、結婚するまでとか、又、結婚している人は、子供・・・ 宮本百合子 「女性の生活態度」
出典:青空文庫