・・・「これは、ほれ、水葬した死骸についていたんじゃないか?」 O君はこう云う推測を下した。「だって死骸を水葬する時には帆布か何かに包むだけだろう?」「だからそれへこの札をつけてさ。――ほれ、ここに釘が打ってある。これはもとは十字・・・ 芥川竜之介 「蜃気楼」
・・・「何が松露や。ほれ、こりゃ、破ると、中が真黒けで、うじゃうじゃと蛆のような筋のある(狐の睾丸じゃがいの。」「旦那、眉毛に唾なとつけっしゃれい。」「えろう、女狐に魅まれたなあ。」「これ、この合羽占地茸はな、野郎の鼻毛が伸びたの・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・ ほれ、のろのろとこっちさ寄って来るだ。あの、さきへ立って、丸太棒をついた、その手拭をだらりと首へかけた、逞い男でがす。奴が、女の幽霊でねえか。出たッと、また髯どのが叫ぶと、蜻蛉がひらりと動くと、かっと二つ、灸のような炎が立つ。冷い火を・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・ 老夫婦は声も節も昔のごとしと賛め、年若き四人は噂に違わざりけりと聴きほれぬ。源叔父は七人の客わが舟にあるを忘れはてたり。 娘二人を島に揚げし後は若者ら寒しとて毛布被り足を縮めて臥しぬ。老夫婦は孫に菓子与えなどし、家の事どもひそひそ・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・ 避暑の客が大方帰ったので居残りの者は我儘放題、女中の手もすいたので或夕、大友は宿の娘のお正を占領して飲んでいたが、初めは戯談のほれたはれた問題が、次第に本物になって、大友は遂にその時から三年前の失恋談をはじめた。女中なら「御馳走様」位・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
・・・……霧立ち嵐はげしき折々も、山に入りて薪をとり、露深き草を分けて、深山に下り芹を摘み、山河の流れも早き巌瀬に菜をすすぎ、袂しほれて干わぶる思ひは、昔人丸が詠じたる和歌の浦にもしほ垂れつつ世を渡る海士も、かくやと思ひ遣る。さま/″\思ひつづけ・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・女にほれられるかと聞いたら、えへへと笑っていた。道楽をするだろうと聞いたら、下を向いて小さな声をしていいえと答えた。五 食事が済んで下女が膳をさげたのは、もう九時近くであった。それでも重吉はまだ顔を見せなかった。自分はひとり・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・華族や金持がほれば似合うかも知れないが、僕にはそんなものは向かない。荒木又右衛門だって、ほっちゃいまい」「荒木又右衛門か。そいつは困ったな。まだそこまでは調べが届いていないからね」「そりゃどうでもいいが、ともかくもあしたは六時に起き・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・出る杭を打たうとしたりや柳かな酒を煮る家の女房ちょとほれた絵団扇のそれも清十郎にお夏かな蚊帳の内に螢放してアヽ楽や杜若べたりと鳶のたれてける薬喰隣の亭主箸持参化さうな傘かす寺の時雨かな 後世一茶の俗語・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
出典:青空文庫