・・・彼は手を放したまま呆然たる蔵のように、虚無の中へ坐り込んだ。そうして、今は、二人は二人を引き裂く死の断面を見ようとしてただ互に暗い顔を覗き合せているだけである。丁度、二人の眼と眼の間に死が現われでもするかのように。彼は食事の時刻が来ると、黙・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・そうして呆然に取られている我々に、あの三尊を初めて見た時の感銘を語って聞かせた。特に先生が力説したのはあの像の肌の滑らかさであったように思う。あの像もまた単に色や形をのみ見るのではなくして、まさしく触感を見るというべきものである。それもただ・・・ 和辻哲郎 「岡倉先生の思い出」
一 夏目先生の大きい死にあってから今日は八日目である。私の心は先生の追懐に充ちている。しかし私の乱れた頭はただ一つの糸をも確かに手繰り出すことができない。私は夜ふくるまでここに茫然と火鉢の火を見まもっていた。 昨日私は先生に・・・ 和辻哲郎 「夏目先生の追憶」
出典:青空文庫