・・・それが遊戯になってしまった。しまいには彼が「松仙閣」といっているのに、勝子の方では知らずに「朝鮮閣」と言っている。信子がそれに気がついて笑い出した。笑われると勝子は冠を曲げてしまった。「勝子」今度は義兄の番だ。「ちがいますともわらび・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・そこでは私は夕餉の時分きまって発熱に苦しむのである。私は着物ぐるみ寝床へ這入っている。それでもまだ寒い。悪寒に慄えながら秋の頭は何度も浴槽を想像する。「あすこへ漬ったらどんなに気持いいことだろう」そして私は階段を下り浴槽の方へ歩いてゆく私自・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・ 突然匕首のような悲しみが彼に触れた。次から次へ愛するものを失っていった母の、ときどきするとぼけたような表情を思い浮かべると、彼は静かに泣きはじめた。 夕餉をしたために階下へ下りる頃は、彼の心はもはや冷静に帰っていた。そこへ友達の折・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・習慣の上に立つ遊戯的研究の上に前提を置きたくない。「ヤレ月の光が美だとか花の夕が何だとか、星の夜は何だとか、要するに滔々たる詩人の文字は、あれは道楽です。彼等は決して本物を見てはいない、まぼろしを見ているのです、習慣の眼が作るところのま・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・この二人が差向いにて夕餉につく様こそ見たけれなど滑稽芝居見まほしき心にて嘲る者もありき。近ごろはあるかなきかに思われし源叔父またもや人の噂にのぼるようになりつ。 雪の夜より七日余り経ちぬ。夕日影あざやかに照り四国地遠く波の上に浮かびて見・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・結婚前には心を張り、体を清くして、美しい恋愛に用意していなければならぬ。自分の妻を、子どもの母をきめんための恋愛だからだ。結婚前に遊戯恋愛や、情事をつみ重ねようとすることは実に不潔な、神聖感の欠けた心理といわねばならぬ。不潔なもの、散文的な・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・実際大噐晩成先生の在学態度は、その同窓間の無邪気な、言い換れば低級でかつ無意味な飲食の交際や、活溌な、言い換れば青年的勇気の漏洩に過ぎぬ運動遊戯の交際に外れることを除けば、何人にも非難さるべきところのない立派なものであった。で、自然と同窓生・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・毎晩、私が黙って居ても、夕食のお膳に大きい二合徳利がつけてあって、好意を無にするのもどうかと思い、私は大急ぎで飲むのでありますが、何せ醸造元から直接持って来て居るお酒なので、水など割ってある筈は無し、頗る純粋度が高く、普通のお酒の五合分位に・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・ 夏、家族全部三畳間に集まり、大にぎやか、大混乱の夕食をしたため、父はタオルでやたらに顔の汗を拭き、「めし食って大汗かくもげびた事、と柳多留にあったけれども、どうも、こんなに子供たちがうるさくては、いかにお上品なお父さんといえども、・・・ 太宰治 「桜桃」
一 たましいの、抜けたひとのように、足音も無く玄関から出て行きます。私はお勝手で夕食の後仕末をしながら、すっとその気配を背中に感じ、お皿を取落すほど淋しく、思わず溜息をついて、すこし伸びあがってお勝手・・・ 太宰治 「おさん」
出典:青空文庫