・・・人間は金のある所へ寄るが鳥獣の分布はやはり「すぐに取って食える食物」の分布できまるものらしい。 星野に小さな水力発電所がある。六十五キロだそうである。これくらいのかわいいのだといわゆる機械的バーバリズムの面影はなくて、周囲の自然となれ合・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・廓ではことにもその噂が立って、女たちは寄るとさわると、その話をしていた。長唄連中の顔ぶれでは、誰れが来るとか来ないとかいうことも問題になっていた。観劇料の高いことも評判であった。 道太は格別の興味も惹かなかったけれど、ある晩お絹と辰之助・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・それは大川口から真面に日本橋区の岸へと吹き付けて来る風を避けようがためで、されば水死人の屍が風と夕汐とに流れ寄るのはきまって中洲の方の岸である。 自分が水泳を習い覚えたのは神伝流の稽古場である。神伝流の稽古場は毎年本所御舟蔵の岸に近い浮・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・中四尺を隔てて近寄るに力なく、離るるに術なし。たとい忌わしき絆なりとも、この縄の切れて二人離れ離れにおらんよりはとは、その時苦しきわが胸の奥なる心遣りなりき。囓まるるとも螫さるるとも、口縄の朽ち果つるまでかくてあらんと思い定めたるに、あら悲・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・ 毎朝、五時か五時半には必ず寄る事になっている依田は、六時になるに未だ来なかった。 ――依田君。六時まで、三時から君を待ったが、来ないから、僕はM署へ持って行かれることにする。いずれは君にもお鉢が廻るんだろうが、兎に角警戒を要する。・・・ 葉山嘉樹 「生爪を剥ぐ」
・・・側に寄るな。寄るとあぶないぞ。」手には小刀が光っている。 爺いさんはまた二三歩退いた。そして手早く宝石を靴の中に入れて、靴を穿いた。それから一言も言わずに、その場を立ち去った。 一本腕は追い掛けて組み止めようとした。しかしふと気を換・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・ A氏のところに寄る。温室にスウィートピーが植込まれたところ。一本一本糸の手が天井から吊ってあり、巻ひげを剪ってある。或は細かい芽生。親切心のたっぷりした者でなくては園芸など出来ずと思った。温室のぶどう、バラの花を貰う。今度お菓子を持っ・・・ 宮本百合子 「金色の秋の暮」
・・・ 先を争うて泉の傍に寄る。七人である。 年は皆十一二位に見える。きょうだいにしては、余り粒が揃っている。皆美しく、稍々なまめかしい。お友達であろう。 この七顆の珊瑚の珠を貫くのは何の緒か。誰が連れて温泉宿には来ているのだろう。・・・ 森鴎外 「杯」
・・・ よく作家が寄ると、最後には、子供を不良少年にし、餓えさせてしまっても、まだ純創作をつづけなければならぬかどうかという問題へ落ちていく。ここへ来ると、皆だれでも黙ってしまって問題をそらしてしまうのが習慣であるが、この黙るところに、もっと・・・ 横光利一 「作家の生活」
・・・ 丁度浮木が波に弄ばれて漂い寄るように、あの男はいつかこの僻遠の境に来て、漁師をしたか、農夫をしたか知らぬが、ある事に出会って、それから沈思する、冥想する、思想の上で何物をか求めて、一人でいると云うことを覚えたものと見える。その苦痛が、・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
出典:青空文庫