・・・ 東洋和漢の旧筆法に従えば、氏のごときは到底終を全うすべき人にあらず。漢の高祖が丁公を戮し、清の康煕帝が明末の遺臣を擯斥し、日本にては織田信長が武田勝頼の奸臣、すなわちその主人を織田に売らんとしたる小山田義国の輩を誅し、豊臣秀吉が織田信・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・蕪村は読書を好み和漢の書何くれとなくあさりしも字句の間には眼もとめず、ただ大体の趣味を翫味して満足したりしがごとし。俳句に古語古事を用いること、蕪村集のごとく多きは他にその例を見ず。 彼が字句にかかわらざりしは古文法を守らず、仮名遣いに・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ それは、和漢書の部で明治九年に印刷されたものである。四六版、三百十二頁に、十行ならびの大きな活字で書名、著者、年号、冊数が掲載されてある。 これは、明治八年いよいよ書籍館が独立して旧大学内大成殿に仮館を定め、九年、毎日「午前第九時・・・ 宮本百合子 「蠹魚」
・・・竹柏園文庫の『和漢船用集』を借覧するに、「おもて高く、とも、よこともにて、低く平らなるものなり」と言ってある。そして図にはさおで行る舟がかいてある。 徳川時代には京都の罪人が遠島を言い渡されると、高瀬舟で大阪へ回されたそうである。それを・・・ 森鴎外 「高瀬舟縁起」
出典:青空文庫