・・・ただ父蟹の一生を例に、善は悪の異名であるなどと、好い加減な皮肉を並べている。三男の蟹は愚物だったから、蟹よりほかのものになれなかった。それが横這いに歩いていると、握り飯が一つ落ちていた。握り飯は彼の好物だった。彼は大きい鋏の先にこの獲物を拾・・・ 芥川竜之介 「猿蟹合戦」
・・・ やがて、講義が終わると、先生は、眼鏡ごしに、小田を見ていられたが、「時に小田くん、君はたしか三男であったな。」と、きかれた。「はい、そうです。」「べつに、農を助ける人でないようだな。それなら、東京へ出て働いてみないか。いや・・・ 小川未明 「空晴れて」
・・・それで村の二男や三男達はどこかよそへ出て行かなければならないのだ。ある者は半島の他の温泉場で板場になっている。ある者はトラックの運転手をしている。都会へ出て大工や指物師になっている者もある。杉や欅の出る土地柄だからだ。しかしこの百姓家の二男・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・また彼と同年だった、地主の三男は、別に学問の出来る男ではなかったが、金のお蔭で学校へ行って今では、金比羅さんの神主になり、うま/\と他人から金をまき上げている。彼と同年輩、または、彼より若い年頃の者で、学校へ行っていた時分には、彼よりよほど・・・ 黒島伝治 「電報」
父がなくなったときは、長兄は大学を出たばかりの二十五歳、次兄は二十三歳、三男は二十歳、私が十四歳でありました。兄たちは、みんな優しく、そうして大人びていましたので、私は、父に死なれても、少しも心細く感じませんでした。長兄を・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・萩原君はそこの二男か三男で、今はH町の郵便局長をしているが、情深い、義理に固い人であるのは、『日記』の中にもたびたび書いてあった。その日はそこでご馳走になって、種々と小林君の話を聞き、また一面萩原君の性情をも観察した。 女たちのほうの観・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・それはK市ではなくてA村の姉の三男が分家している先からであった。平生は年賀状以外にほとんど音信もしないくらいにお互いに疎遠でいた甥の事は、堅吉の頭にどうしても浮かばなかったのであった。 しかしこう事実がわかってみると、堅吉の頭は休まる代・・・ 寺田寅彦 「球根」
・・・昨年また亮が死んだので、残るはただ三男の順だけである。順はとくにいでて他家を継いでいる。それで家に残るは六十を越えた彼らの母と、長男の残した四人の子供と、そして亮の寡婦とである。さびしい人ばかりである。 亮の家の祖先は徳川以前に長曾・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・ 成長して他人の家へ行くものは必ずしも女子に限らず、男子も女子と同様、総領以下の次三男は養子として他家に行くの例なり。人間世界に男女同数とあれば、其成長して他人の家に行く者の数も正しく同数と見て可なり。或は男子は分家して一戸の主・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ また、封建世禄の世において、家の次男三男に生れたる者は、別に立身の道を得ず。あるいは他の不幸にして男児なき家あれば、養子の所望を待ちてその家を相続し、はじめて一家の主人たるべし。次三男出身の血路は、ただ養子の一方のみなれども、男児なき・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
出典:青空文庫