・・・登るときは牛のようにのろい代りに、下り坂は奔馬のごとくスキーのごとく早いので、二度に一度は船暈のような脳貧血症状を起こしたものである。やっと熱海の宿に着いて暈の治りかけた頃にあの塩湯に入るとまたもう一遍軽い嘔気を催したように記憶している。・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・紺碧のナポリの湾から山腹を逆様に撫で上げる風は小豆大の砂粒を交えてわれわれの頬に吹き付けたが、ともかくも火口を俯瞰するところまでは登る事が出来た。下り坂の茶店で休んだときにそこのお神さんが色々の火山噴出物の標本やラヴァやカメーの細工物などを・・・ 寺田寅彦 「二つの正月」
・・・「私の美くしさの下り坂になったしるしだ」 すぐ女は斯う思った。もう今から四五年あとには自分もあたり前の女がする様な事をしなくっちゃあなるまいと思った。 自分で特別に作られた女だと信じて居る御龍はあたり前の女のする事をしなければな・・・ 宮本百合子 「お女郎蜘蛛」
・・・が燃える様な熱を身内に起して、それが力つきて下り坂になった時、「死」はますますその暴威をたくましゅうする。 皮と肉との目に見えない中に起るこの世の中で一番大きな争闘があんなに静かに何の音も叫びもなく行われ様とは思いも寄らない事である。・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・ 一九四七年・八年・九年と、新日本文学会の批評活動は、表面からみるとたしかに下り坂を辿った。民主的な文学運動と互にかかわりあうものとして現代文学の全野に亙って作品を評価し、文学現象をしらべ系統的発展のために発言する能力は、すくなかった。・・・ 宮本百合子 「現代文学の広場」
・・・の確かな洞察力を失い、創造力の豊かな社会的地盤を失った時、よりイージーで小規模な人生と芸術への主観的角度をもつ随筆の流行を見るのであるから、この意味で科学者の無方向な随筆活動への参加は二重の力で文化を下り坂に押す結果にさえなるのである。・・・ 宮本百合子 「作家のみた科学者の文学的活動」
・・・この道は、はじめ来しおりの道よりは近きに下り坂なれば、人力車にてゆく。小布施という村にて、しばし憩いぬ。このわたりの野に、鴨頭草のみおい出でて、目の及ぶかぎり碧きところあり、又秋萩の繁りたる処あり。麻畑の傍を過ぐ、半ば刈りたり。信濃川にいで・・・ 森鴎外 「みちの記」
出典:青空文庫