・・・不相変ひびが入っていて不景気だ。上で何かごとごという音が聞こえる。下女が四階の室で靴でもはいているんだろう。部屋はますますあかるくなる。銅鑼はまだ鳴りそうな景色がない。今度は天井から眼をおろしてぐるぐる部屋中を査した。しかし別に見るものも何・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・その細目にいたりては、一年農作の飢饉にあえば、これを救うの術を施し、一時、商況の不景気を見れば、その回復の法をはかり、敵国外患の警を聞けばただちに兵を足し、事、平和に帰すれば、また財政を脩むる等、左顧右視、臨機応変、一日片時も怠慢に附すべか・・・ 福沢諭吉 「政事と教育と分離すべし」
・・・どうも不景気ですね。どうでしょう。これからの景気は。」「さあ、あなたはどう思いますか。」「そうですね。しかしだんだんよくなるのじゃないでしょうか。オウベイのキンユウはしだいにヒッパクをテイしたそう……。」「エヘン、エヘン。」いき・・・ 宮沢賢治 「クねずみ」
・・・お前だって人並みに学校へだってやれるんだのに……こうやって母子二人で食べるものを食べずに稼いだところで、この不景気じゃ綿入れ一つ着られやしない」 一太は困ったのと馴れているのとで別に返事をしなかった。「私ほど考えれば考えるほど不運な・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・ この不景気で近々人減しがあるので随分惨目なものが多いと良吉が云うと、お金は、すぐその言葉じりをとって、「けどまあ、『うちの人』や恭二なんかは、永年お役に立ってるって云うので、そんな心配のいらない有難い身分なんですがねえ、そんな・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・「だが、戦争をしたって不景気が直らず、却ってわるいというのはお互に知りぬいている事実ですよ。従って、戦争が自分たちのためにされているものでないことがわかるようになるのも実際のなりゆきで、そう思うな、ということは出来ない。いいわるいより、・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・一方からは、その単調さと異様な鼓膜の震動とで神経も空想も麻痺するモウタアの響がプウ……と、飽きもせず、世間の不景気に拘りもせず一日鳴った。片方の隣では、ドッタンガチャ、ドッタン、バタパタという何か機械の音に混って、職工が、何とか何とかしてス・・・ 宮本百合子 「この夏」
・・・ 私は絵として心を打たれるものを見出すことは出来なかったが、その絵の大小によって云わず語らずのうちに示された日本の大画家連の製作をも左右している世間の不景気の反映に興味を感じた。 画商との微妙な連関で自分の画の市価というものが定り、・・・ 宮本百合子 「帝展を観ての感想」
・・・又米が安過ぎて不景気と云うような事になるでしょう」「そいつあかないませんぜ。鶴亀鶴亀」こんな対話である。 僕のいる所からは、すぐ前を漕いで行く舟の艫の方が見える。そこにはお酌が二人乗っている。傍に頭を五分刈にして、織地のままの繭紬の陰紋・・・ 森鴎外 「百物語」
・・・先生は蝦蟇と不景気を争う。この道徳の上に立つ教育主義は無垢なる天人を偽善の牢獄に閉じこむ。人格の光にあらず、霊のひらめきにあらず、人生の暁を彩どる東天の色は病毒の汚濁である。 日本民族が頭高くささぐる信条は命を毫毛の軽きに比して君の馬前・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫