・・・ そこで彼は失敗やら成功やら、二十年の間に東京を中心としておもに東北地方を舞台に色んな事をやって見たが、ついに失敗に終わったと言うよりもむしろ、もはや精根の泉を涸らしてしまった。 そして故郷へ帰って来た。漂って来たのではない、実に帰・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・それが夫婦生活を固定させた大きな条件なのだから、したがって、夫婦愛は子どもを中心として築かれ、まじめな課題を与えられる。恋愛の陶酔から入って、それからさめて、甘い世界から、親としてのまじめな養育、教育のつとめに移って行く。スイートホームとい・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・こんなとき、いつも雑談の中心となるのは、鋳物工で、鉄瓶造りをやっていた、鼻のひくい、剛胆な大西だった。大西は、郷里のおふくろと、姉が、家主に追立てを喰っている話をくりかえした。「俺れが満洲へ来とったって、俺れの一家を助けるどころか家賃を・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・という身体つきの徳を持っている、これもなかなかの功を経ているものなので、若崎の言葉の中心にはかまわずに、やはり先輩ぶりの態度を崩さず、「それで家へ帰って不機嫌だったというのなら、君はまだ若過ぎるよ。議論みたようなことは、あれは新聞屋や雑・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・お前は今運動が一番進んでいる中心地にいる。今度はこっちのことをどう考えるか、お前の手紙を待っている。 小林多喜二 「母たち」
・・・殊に雑誌が雑誌だったから、婦人に読ませるということを中心にして、題目を択んだものもあった。処女の純潔を論じたり、その他恋愛観なぞを書き現わしたものにも、一面婦人のために書いているような趣きのあるのはその故である。その頃女学雑誌には星野天知君・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・つまり名といい、利といい、身といい、家という、無形、有形、単純、複雑の別はあっても、詮ずるところ自己の生という中心意義を離れては、道徳も最後の一石に徹しない。直観道学はそれを打ち消して利己以上の発足点を説こうけれども、自分らの知識は、どうも・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・キリスト教に於いても、日本は、これから世界の中心になるのではないかと思っています。最近の欧米人のキリスト教は実に、いい加減のものです。」「そろそろ展覧会の季節になりましたが、何か、ごらんになりましたか。」「まだどこの展覧会も見ていま・・・ 太宰治 「一問一答」
・・・私は『田舎教師』の中心をつかみ得たような気がした。 日記は、その死の前一日までつけてある。もちろん、寝ながら、かつ苦みながら書いたろうとおぼしく、墨もうすく、字も大きなまずく書いてあるけれども……。私はそれを見て泣きたいような気がした。・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・ 文科の某教授がとった、池を中心とした写真が、何枚か今のバラック御殿のびかんにかかっている。今ではもう歴史的のものになってしまった。私はいつか、大学百景といったような版画のシリーズを作ったらおもしろいだろうと思った事があった。もしそ・・・ 寺田寅彦 「池」
出典:青空文庫