・・・ 店の電話に向って見ると、さきは一しょに中学を出た、田村と云う薬屋の息子だった。「今日ね。一しょに明治座を覗かないか? 井上だよ。井上なら行くだろう?」「僕は駄目だよ。お袋が病気なんだから――」「そうか。そりゃ失敬した。だが残念・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・井筒屋のお貞が言った通り、はたして梅毒患者であったかと思うと、僕は身の毛が逆立ったのである。井上眼科病院で診察してもらったら、一、二箇月入院して見なければ、直るか直らないかを判定しにくいと言ったとか。 かの女は黒い眼鏡を填めた。 僕・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・当時の欧化熱の急先鋒たる公伊藤、侯井上はその頃マダ壮齢の男盛りだったから、啻だ国家のための政策ばかりでもなくて、男女の因襲の垣を撤した欧俗社交がテンと面白くて堪らなかったのだろう。搗てて加えて渠らは貴族という条、マダ出来立ての成上りであった・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・最近井上友一郎氏に会い、その大阪訛をきいて、嬉しかった。 小説の勉強をはじめてからまだ四年くらいしか経たない。わが文学修業はこれからである。健康が許せば、西鶴が小説を書いた歳まで生きられるだろう。まだ十年ある。文学修業はそれからだと思う・・・ 織田作之助 「わが文学修業」
・・・新調のその船の名は、細胞文芸、井伏鱒二、林房雄、久野豊彦、崎山兄弟、舟橋聖一、藤田郁義、井上幸次郎、その他数氏、未だほとんど無名にして、それぞれ、辻馬車、鷲の巣、十字街、青空、驢馬、等々の同人雑誌の選手なりしを手紙で頼んで、小説の原稿もらい・・・ 太宰治 「喝采」
・・・小生、日本人ノウチデ、宗教家トシテハ内村鑑三氏、芸術家トシテハ岡倉天心氏、教育家トシテハ井上哲次郎氏、以上三氏ノ他ノ文章ハ、文章ニ似テ文章ニアラザルモノトシテ、モッパラ洋書ニ親シミツツアルモ、最近、貴殿ノ文章発見シ、世界ニ類ナキ銀鱗躍動、マ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・その頃わたくしは押川春浪井上唖々の二亡友と、外神田の妓を拉して一夜紫明館に飲んだことを覚えている。四五輛の人力車を連ねて大きな玄関口へ乗付け宿の女中に出迎えられた時の光景は当世書生気質中の叙事と多く異る所がなかったであろう。根津の社前より不・・・ 永井荷風 「上野」
・・・ わたくしは裳川先生が講詩の席で、始めて亡友井上唖々君を知ったのである。 その頃作った漢詩や俳句の稿本は、昭和四年の秋感ずるところがあって、成人の後作ったいろいろの原稿と共に、わたくしは悉くこれを永代橋の上から水に投じたので、今記憶・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・ 当時のわたしを知っているものは井上唖々子ばかりである。唖々子は今年六月のはじめ突然病に伏して、七月十一日の朝四十六歳を以て世を謝した。 二十年前わたしの唖々子における関係は、あたかも抽斎の子のその友某におけると同じであった。 ・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・ わたしはいかなる断篇たりともその稿を脱すれば、必亡友井上唖々子を招き、拙稿を朗読して子の批評を聴くことにしていた。これはわたしがまだ文壇に出ない時分からの習慣である。 唖々子は弱冠の頃式亭三馬の作と斎藤緑雨の文とを愛読し、他日二家・・・ 永井荷風 「十日の菊」
出典:青空文庫