・・・ここでは店先を片づけて、人出入りも多く、それが今度出てゆく若主人らしい人が、店先で親類らしい中年者と立ち話をしたりしている。そこには緊張して遑しい仕度の空気が漲っていた。米屋の商売も、全くこれ迄とはちがったものになりかかっている最中のことだ・・・ 宮本百合子 「今日の耳目」
・・・ 生活感情の不安定さをつきつめず、おどろきを失い、その日暮しになって、その不安定さから現象としてはあらゆる興行物や飲食店の満員、往来の夥しい人出となって動いている。本がどんどん売れ次から次と読まれてゆくことのうちにやはりこの心理があ・・・ 宮本百合子 「今日の読者の性格」
・・・ブロード・ウェイが祝祭の人出と歌と酔っぱらいとで赤くそして青く茄り、顫えているような一九一八年十一月十一日の夜、そのどよめきに漂って微かな身ぶるいを感じながら、私は食べ足りた人々の正義とか人道とかいう言葉に深い深い疑問を感じた。 その時・・・ 宮本百合子 「時代と人々」
・・・ その壮観を見物しようとして押しかけて来た家族連れの群集で、夜の赤い広場がまたえらい人出だ。 モスクワ市発電所の虹のようなイルミネーションが、チラチラ美しくモスクワ河の面に溶けている。赤色労働組合の総本部労働宮は、どうだ! まるで闇・・・ 宮本百合子 「勝利したプロレタリアのメーデー」
・・・そして、街頭は、人出が繁いのであるが、さて、今日地道な生活の人々はもう値段かまわぬ買物をして暮す気分ではなくなった。戦時利得税をいずれ払わなくてはならず、しかも、大財閥に対してのように、政府が様々の法式を考案して、とり上げた金をまた元に戻し・・・ 宮本百合子 「人民戦線への一歩」
・・・ 私たち誰でもが昨今のひどい人出の混雑ぶりを知っている。その混雑の荒っぽさというものをもつくづく身にしみて感じている。この広い東京の、これだけの人数の中で、僅か数万の男女が、或る日日劇のまわりをとりまいて犇き合ったというだけのことなら、・・・ 宮本百合子 「「健やかさ」とは」
・・・いかにも役所や工場から今退けて来たという風情の男が、又は女が、自分の後へ橇にのっかった小さい子供をひっぱり、何か楽しそうにその子と喋ったり笑ったりしながら、ゆっくり人出の間をやって来る。 それが決して、一組や二組のことじゃあない。並木道・・・ 宮本百合子 「砂遊場からの同志」
・・・ 雪をかきわけて狭くつけた道にぞろぞろ歩く人出。 冬ごもり ○自由でない水 ○石炭のすすで足袋などすぐ黒くなる部屋 ○雪がつもり、窓をふさいだ家の裏側 ○まるで花のない部屋 老ミセス、・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・そして、鋪道に溢れるような人出に紛れ込もうとした時、私はふと、山崎の陰鬱に光る大飾窓の向い合った処に、一人日本人でない露店商人がいるのに目をつけた。 そこは私が見てさえ、商売上得な位置とは思えなかった。車道を踰えて鋪道にかかったばかりの・・・ 宮本百合子 「粗末な花束」
・・・浜町も蠣殻町も風下で、火の手は三つに分かれて焼けて来るのを見て、神戸の内は人出も多いからと云って、九郎右衛門は蠣殻町へ飛んで帰った。 山本の内では九郎右衛門が指図をして、荷物は残らず出させたが、申の下刻には中邸一面が火になって、山本も焼・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫