・・・そうしてそのまわりを小屏風で囲んで、五人の御坊主を附き添わせた上に、大広間詰の諸大名が、代る代る来て介抱した。中でも松平兵部少輔は、ここへ舁ぎこむ途中から、最も親切に劬ったので、わき眼にも、情誼の篤さが忍ばれたそうである。 その間に、一・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・鬼どもはそういう地獄の中へ、代る代る杜子春を抛りこみました。ですから杜子春は無残にも、剣に胸を貫かれるやら、焔に顔を焼かれるやら、舌を抜かれるやら、皮を剥がれるやら、鉄の杵に撞かれるやら、油の鍋に煮られるやら、毒蛇に脳味噌を吸われるやら、熊・・・ 芥川竜之介 「杜子春」
・・・そこで自分は仕方がなく、椅子の背へ頭をもたせてブラジル珈琲とハヴァナと代る代る使いながら、すぐ鼻の先の鏡の中へ、漫然と煮え切らない視線をさまよわせた。 鏡の中には、二階へ上る楷子段の側面を始として、向うの壁、白塗りの扉、壁にかけた音楽会・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・当時朝から晩まで代る代るに訪ずれるのは類は友の変物奇物ばかりで、共に画を描き骨董を品して遊んでばかりいた。大河内子爵の先代や下岡蓮杖や仮名垣魯文はその頃の重なる常連であった。参詣人が来ると殊勝な顔をしてムニャムニャムニャと出放題なお経を誦し・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 井侯以後、羹に懲りて膾を吹く国粋主義は代る代るに武士道や報徳講や祖先崇拝や神社崇敬を復興鼓吹した。が、半分化石し掛った思想は耆婆扁鵲が如何に蘇生らせようと骨を折っても再び息を吹き返すはずがない。結局は甲冑の如く床の間に飾られ、弓術の如・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・工合でそれから七日というものは、豚はまるきり外で日が照っているやら、風が吹いてるやら見当もつかず、ただ胃が無暗に重苦しくそれからいやに頬や肩が、ふくらんで来ておしまいは息をするのもつらいくらい、生徒も代る代る来て、何かいろいろ云っていた。・・・ 宮沢賢治 「フランドン農学校の豚」
出典:青空文庫