大町先生に最後にお目にかゝったのは、大正十三年の正月に、小杉未醒、神代種亮、石川寅吉の諸君と品川沖へ鴨猟に往った時である。何でも朝早く本所の一ノ橋の側の船宿に落合い、そこから発動機船を仕立てさせて大川をくだったと覚えている・・・ 芥川竜之介 「鴨猟」
・・・凍死しても何でも歩いて見ろ。……」 彼は突然口調を変え Brother と僕に声をかけた。「僕はきのう本国の政府へ従軍したいと云う電報を打ったんだよ。」「それで?」「まだ何とも返事は来ない。」 僕等はいつか教文館の飾り窓・・・ 芥川竜之介 「彼 第二」
・・・「眼がさめましたね。」呂翁は、髭を噛みながら、笑を噛み殺すような顔をして云った。「ええ」「夢をみましたろう。」「見ました。」「どんな夢を見ました。」「何でも大へん長い夢です。始めは清河の崔氏の女と一しょになりました。・・・ 芥川竜之介 「黄粱夢」
・・・この男は目にかかる物を何でも可哀がって、憐れで、ああ人間というものは善いものだ、善い人間が己れのために悪いことをするはずがない、などと口の中で囁く癖があった。この男がたまたま酒でちらつく目にこの醜い犬を見付けて、この犬をさえ、良い犬可哀い犬・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・ついでに鯔と改名しろなんて、何か高慢な口をきく度に、番ごと籠められておいでじゃないか。何でも、恐いか、辛いかしてきっと沖で泣いたんだよ。この人は、」とおかしそうに正向に見られて、奴は、口をむぐむぐと、顱巻をふらりと下げて、「へ、へ、へ。・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・「食べやしないんだよ。爺や、ただ玩弄にするんだから。」「それならば可うごすが。」 爺は手桶を提げいたり。「何でもこうその水ン中へうつして見るとの、はっきりと影の映るやつは食べられますで、茸の影がぼんやりするのは毒がありますじ・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・が、何処の巣にいて覚えたろう、鵯、駒鳥、あの辺にはよくいる頬白、何でも囀る……ほうほけきょ、ほけきょ、ほけきょ、明かに鶯の声を鳴いた。目白鳥としては駄鳥かどうかは知らないが、私には大の、ご秘蔵――長屋の破軒に、水を飲ませて、芋で飼ったのだか・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・「おまえにおれが負けたら、お前のすきなもの何でもやる」「きっとですよ」「大丈夫だよ、負ける気づかいがないから」 こんな調子に、戯言やら本気やらで省作はへとへとになってしまった。おはまがよそ見をしてる間に、おとよさんが手早く省・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・「政夫さん、なに……」「何でもないけど民さんは近頃へんだからさ。僕なんかすっかり嫌いになったようだもの」 民子はさすがに女性で、そういうことには僕などより遙に神経が鋭敏になっている。さも口惜しそうな顔して、つと僕の側へ寄ってきた・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・「おッ母さんはそりゃアそりゃア可愛がるのよ」「独りでうぬぼれてやアがる。誰がお前のような者を可愛がるもんか? 一体お前は何が出来るのだ?」「何でも出来る、わ」「第一、三味線は下手だし、歌もまずいし、ここから聴いていても、ただ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
出典:青空文庫