・・・私は何となしに笑いたくなって声を出して笑った。連れの男は何遍となく「コロッサアル」を繰返しては湯気の立つ馬をまじまじ眺めていた。 ウワルプルギスナハトには思ったような凄味はなかった。しかし思わない凄味がどこかにあった。お化けは居ないがヘ・・・ 寺田寅彦 「異郷」
・・・道太はそこへも訪ねたことがあったが、廓を出てからの親子は何となし寂しげに見えた。「この家も古いもんや」辰之助は庭先の方に、道太と向かいあって坐りながら言ったが、古びていたけれど、まだ内部はどうもなっていなかった。以前廂なぞ傾いでいたこと・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・人間が懺悔して赤裸々として立つ時、社会が旧習をかなぐり落して天地間に素裸で立つ時、その雄大光明な心地は実に何ともいえぬのである。明治初年の日本は実にこの初々しい解脱の時代で、着ぶくれていた着物を一枚剥ねぬぎ、二枚剥ねぬぎ、しだいに裸になって・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・ 私は林が何と答えてくれるだろうと思った。また犬の頭をなでている女中さんも、うしろにたってみている子供たちも、一緒に林の顔を見ていた。「ええ」 すると林は、それだけだが、非常にはっきりと、顔をあげて言ったのだった。私はその瞬間、・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・日頃何につけても、時代と人情との変遷について感動しやすいわたくしには、母親のこの厚意が何とも言えない嬉しさを覚えさせた。竹の皮を別にして包んだ蓮根の煮附と、刻み鯣とに、少々甘すぎるほど砂糖の入れられていたのも、わたくしには下町育ちの人の好む・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・今はそれが段々なくなって、自分の弱点をそれほど恐れずに世の中に出す事を何とも思わない。それで古の人の弊はどんな事かというと、多少偽の点がありました。今の人は正直で自分を偽らずに現わす、こういう風で寛容的精神が発達して来た。しこうして社会もま・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・しかし自己自身の存在を疑うことはできない。何となれば、疑うものはまた自己なるが故である。 人は自己が自己を知ることはできないという。かかる場合、人は知るということを、対象認識の意味においていっているのである。かかる意味において、自己が自・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・と、私の声と同時に、給仕でも飛んで出て来るように、二人の男が飛んで出て来て私の両手を確りと掴んだ。「相手は三人だな」と、何と云うことなしに私は考えた。――こいつあ少々面倒だわい。どいつから先に蹴っ飛ばすか、うまく立ち廻らんと、この勝負は俺の・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・吉里がこうこうだッて、お神さんに何とでも訴けておくれ」 白字で小万と書いた黒塗りの札を掛けてある室の前に吉里は歩を止めた。「善さんだッてお客様ですよ。さッきからお酒肴が来てるんじゃありませんか」「善さんもお客だッて。誰がお客でな・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・平民が、学塾を開いて生徒を教え、地面を所有して地代小作米を取立つるは、これを何と称すべきや。政府にては学校といい、平民にては塾といい、政府にては大蔵省といい、平民にては帳場といい、その名目は古来の習慣によりて少しく不同あれども、その事の実は・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
出典:青空文庫