・・・空中へ上るのは西洋の魔法使もする事で、それだけ永い間修業したのだから、その位の事は出来たことと見て置こう。感情が測られず、超常的言語など発するというのは、もともと普通凡庸の世界を出たいというので修業したのだから、修業を積めばそうなるのは当然・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・其の中におのずから苦行的修練的の真面目な意味が何分か籠って居て、生やさしい戯談半分遊山半分ばかりでは出来無かった旅行なのでした。其の修業的旅行という事は、文明の威力で津々浦々山の奥谷の底までが開けた結果として、今日では先ず日本内地では殆ど成・・・ 幸田露伴 「旅行の今昔」
・・・趙州和尚は、六十歳から参禅・修業をはじめ、二十年をへてようやく大悟・徹底し、以後四十年間、衆生を化度した。釈尊も、八十歳までのながいあいだ在世されたればこそ、仏日はかくも広大にかがやきわたるのであろう。孔子も、五十にして天命を知り、六十にし・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・ 伊能忠敬は五十歳から当時三十余歳の高橋左(衛門の門に入って測量の学を修め、七十歳を超えて、日本全国の測量地図を完成した、趙州和尚は、六十歳から參禅修業を始め、二十年を経て漸く大悟徹底し、爾後四十年間、衆生を化度した、釈尊も八十歳までの・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・お前のように田舎にいて、さびしさと戦うのもいい修業じゃないか。」「しかし、僕はそれに耐えられるほど、まだほんとうに頭ができていない。」「だから、ときどき出て来るさ。番町の先生の話なぞもききに来るさ。」「そうだよ。」「読めるだ・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・ 修業という事は、天才に到る方法ではなくて、若い頃の天稟のものを、いつまでも持ち堪へる為にこそ、必要なのです。退歩しないというのは、これはよほどの努力です。ある程度の高さを、いつまでも変らずに持ちつづけている芸術家はよほどの奴です。たい・・・ 太宰治 「炎天汗談」
子供のころから、お洒落のようでありました。小学校、毎年三月の修業式のときには必ず右総代として校長から賞品をいただくのであるが、その賞品を壇上の校長から手渡してもらおうと、壇の下から両手を差し出す。厳粛な瞬間である。その際、・・・ 太宰治 「おしゃれ童子」
・・・欅の樹で囲まれた村の旧家、団欒せる平和な家庭、続いてその身が東京に修業に行ったおりの若々しさが憶い出される。神楽坂の夜の賑いが眼に見える。美しい草花、雑誌店、新刊の書、角を曲がると賑やかな寄席、待合、三味線の音、仇めいた女の声、あのころは楽・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・ 明治三十六年に大学を卒業してから今日までの学究生活の間に昔の学生時代の修業がどれだけどう役に立ったかと考えてみる。学校で教わった色々の六かしいことは大抵綺麗に忘れてしまったように思われる。正常の教程課目として教わったことで後年直接その・・・ 寺田寅彦 「科学に志す人へ」
・・・馬鹿げた話であるが、しかしこの馬鹿げた気持がいつまでも抜け切らなかったおかげでこの年まで六かしい学問の修業をつづけて来たかもしれない。 羅宇の真中を三本の指先で水平に支えて煙管を鉛直軸のまわりに廻転させるという芸当も出来ないと幅が利かな・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
出典:青空文庫