・・・背のすらりとした、ものごしの優しい、いつも髪は――一体読者の要求するのはどう云う髪に結った女主人公ですか? 主筆 耳隠しでしょう。 保吉 じゃ耳隠しにしましょう。いつも髪を耳隠しに結った、色の白い、目の冴え冴えしたちょっと唇に癖のあ・・・ 芥川竜之介 「或恋愛小説」
・・・……さりながら愛によってつまずいた優しい心を神は許し給うだろう。私の罪をもまた許し給うだろう」 かくいってフランシスはすっと立上った。そして今までとは打って変って神々しい威厳でクララを圧しながら言葉を続けた。「神の御名によりて命ずる・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・ しかしそんな優しい霊の動きは、壊された、あらゆる夢、殺された、あらゆる望の墓の上に咲く花である。 それだから、好い子、お前は釣をしておいで。 お前は無意識に美しい権利を自覚しているのであるから。 魚を殺せ。そして釣れ。・・・ 著:アルテンベルクペーター 訳:森鴎外 「釣」
・・・その娘は何でも目に見えるものを皆優しい両手で掻き抱き、自分の胸に押しつけたいと思うような気分で、まず晴れ渡った空を仰いで見て、桜の木の赤味を帯びた枝の方を見て、それから庭の草の上に寝ころんで顔を熱く照らす日に向けて居た。しかしそれも退屈だと・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
上 何心なく、背戸の小橋を、向こうの蘆へ渡りかけて、思わず足を留めた。 不図、鳥の鳴音がする。……いかにも優しい、しおらしい声で、きりきり、きりりりり。 その声が、直ぐ耳近に聞こえたが、つい目前・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・私もこうして一年御厄介になって居てみれば、お民さんはほんと優しい温和しい人です。お母さんに少し許り叱られたって、それを悔しがって泣いたりなんぞする様な人ではありますまい。私がこんなことを申してはおかしいですが、政夫さんとお民さんとは、あアし・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・という優しい声が聴える。しかしその声の主はまだ来ないのであった。 一六 僕が強く当ったので、向うは焼けになり、「じゃア勝手にしろ」という気になったのではあるまいか? それなら、僕から行かなければ永劫に会えるはずは・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・けれど、この二人のものをあわれんで、ものを与えるものもなければ、また優しい言葉をかけてくれるものもありませんでした。「やかましい、あっちへゆけ。」と、どなるものもあれば、また家の内から、大きな声で、「出ないぞ。」といったもの・・・ 小川未明 「黒い旗物語」
・・・ ところが、そんな優しい母親が、近所の大人たちに言わせると継母なのです。この子どこの子、ソバ屋の継子、上って遊べ、茶碗の欠けで、頭カチンと張ってやろ。こんな唄をわざわざ教えてくれたのはおきみ婆さんで、おきみ婆さんはいつも千日前の常盤座の・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・何という優しいTであろう、――彼は新夫人の前では、いっさい女に関する話をすることすら避けていた。私はある晩おおいに彼に叱られたことがある。それは、私がずっと以前に書いたものの中に、けっして彼のことを書いたのではないのだがサーニン主義者めいた・・・ 葛西善蔵 「遊動円木」
出典:青空文庫