・・・を呼んで寝床を共にする。そのあとで彼女はすぐ自分の寝床へ帰ってゆくのである。生島はその当初自分らのそんな関係に淡々とした安易を感じていた。ところが間もなく彼はだんだん堪らない嫌悪を感じ出した。それは彼が安易を見出していると同じ原因が彼に反逆・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・』と首を出したのは江藤という画家である、時田よりは四つ五つ年下の、これもどこか変物らしい顔つき、語調と体度とが時田よりも快活らしいばかり、共に青山御家人の息子で小供の時から親の代からの朋輩同士である。 時田は朱筆を投げやって仰向けになり・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・そうした表現が今日の場合抽象にすぎるならば、人間生活の具体的な単位である国民道を共に生き得るときは結合せよ。その希望が持てず、その見通しができないときは別離せよ。とでもいっておいて大過ないであろう。かくてなお不幸にして一つの結合に破れたから・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・ プロレタリアートの戦争反対文学は、帝国主義××に反対すると共に、労働者階級の国際的団結の思想を鼓吹するものである。 二、プロレタリアートと戦争 一 プロレタリアートは、社会主義の勝利による階級社会・・・ 黒島伝治 「反戦文学論」
・・・牛頭山前よりは共にと契りたる寒月子と打連れ立ちて、竹屋の渡りより浅草にかかる。午後二時というに上野を出でて高崎におもむく汽車に便りて熊谷まで行かんとするなれば、夏の日の真盛りの頃を歩むこととて、市中の塵埃のにおい、馬車の騒ぎあえるなど、見る・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・意気の為めに、或は恋愛の為めに、或は忠孝の為めに、彼等は生死を超脱した、彼等は各々生死且つ省みるに足らざる大なる或者を有して居た、斯くて彼等の或者は満足に且つ幸福に感じて死だ、而して彼等の或者は其生死共に尠からぬ社会的価値を有し得たのである・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・どこまでもこの友達の女房役として、共に事に当ろうとしていた。 昼近い頃には、ぽつぽつ食堂へ訪ねて来る客もあった。腰の低い新七は一々食堂の入口まで迎えに出て、客の帽子から杖までも自分で預かるくらいにした。そして客の註文を聞いたり、いろいろ・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・大芸術家とは、束縛に鼓舞され、障害を踏切台とする者であります、と祖父のジイドから、やさしく教えさとされ、私も君も共に「いい子」になりたくて、はい、などと殊勝げに首肯き、さて立ち上ってみたら、甚だばかばかしい事になった。自分をぶん殴り、しばり・・・ 太宰治 「鬱屈禍」
・・・ニュートンが一見捕捉しがたいような天体の運動も簡単な重力の方則によって整然たる系統の下に一括される事を知った時には、実際ヴォルテーアの謳ったように、神の声と共に渾沌は消え、闇の中に隠れた自然の奥底はその帷帳を開かれて、玲瓏たる天界が目前に現・・・ 寺田寅彦 「科学者と芸術家」
・・・梅花を見て春の来たのを喜ぶ習慣は年と共に都会の人から失われていたのである。 わたくしが梅花を見てよろこびを感ずる心持は殆ど江戸の俳句に言尽されている。今更ここに其角嵐雪の句を列記して説明するにも及ばぬであろう。わたくしは梅花を見る時、林・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
出典:青空文庫