・・・露が光るように、針の尖を伝って、薄い胸から紅い糸が揺れて染まって、また縢って、銀の糸がきらきらと、何枚か、幾つの蜻蛉が、すいすいと浮いて写る。――(私が傍って、鼻ひしゃげのその頃の工女が、茄子の古漬のような口を開けて、老い年で話すんです。そ・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・――燈火を赤く反映している夜空も、そのなかにときどき写る青いスパークも。……しかしどこかからきこえて来た軽はずみな口笛がいまのソナタに何回も繰り返されるモティイフを吹いているのをきいたとき、私の心が鋭い嫌悪にかわるのを、私は見た。 休憩・・・ 梶井基次郎 「器楽的幻覚」
・・・それは途中にただ一軒の人家しかない、そしてその家の燈がちょうど戸の節穴から写る戸外の風景のように見えている、大きな闇のなかであった。街道へその家の燈が光を投げている。そのなかへ突然姿をあらわした人影があった。おそらくそれは私と同じように提灯・・・ 梶井基次郎 「蒼穹」
・・・「兄さんは炬燵へ当ってる方がうまく写るよ」「だって姉さんが邪魔をしてるんだもの」と風呂敷の中へ頭を入れる。「姉さんぐずぐずしてると背中が写ってしまいますよ」「はいはい」と、藤さんは笑いながら自分の隣へ移る。「兄さん、もっ・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・青い湖のような目、青い草原に寝て大空を見ているような目、ときどき雲が流れて写る。鳥の影まで、はっきり写る。美しい目のひととたくさん逢ってみたい。 けさから五月、そう思うと、なんだか少し浮き浮きして来た。やっぱり嬉しい。もう夏も近いと思う・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・障子に、奥田の、立って動いて、何やら食事の仕度をしている影法師が写る。ぼんやり、その奥田の影法師のうしろに、女の影法師が浮ぶ。その女の影法師は、じっと立ったまま動かぬ。外は夕闇。国民学校教師、野中弥一、酔歩蹣跚の姿で、下手より、庭へ・・・ 太宰治 「春の枯葉」
・・・寒山拾得の類の、私の姿が、商店の飾窓の硝子に写る。私の着物は、真赤に見えた。米寿の祝いに赤い胴着を着せられた老翁の姿を思い出した。今の此のむずかしい世の中に、何一つ積極的なお手伝いも出来ず、文名さえも一向に挙らず、十年一日の如く、ちびた下駄・・・ 太宰治 「服装に就いて」
・・・例えばファゴットの管の上端の楕円形が大きく写ると同時にこの木管楽器のメロディーが忽然として他の音の波の上に抜け出て響いて来るのである。こういうことは作曲者かあるいは指揮者を同伴して演奏会へ行っても容易に得られない無言の解説である。カルメンの・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(5[#「5」はローマ数字、1-13-25])」
・・・まず第一ページにおいてわれわれの目に大きく写るものが何であるかと思うと、それは新刊書籍、雑誌の広告である。世界じゅうの大きな出来事、日本国内の重要な現象、そういうもののニュースを見るよりも前にまずこの商品の広告が自然にわれわれの眼前に現われ・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・現世の故郷はうつり変っても画の中に写る二十年の昔はさながらに美しい。外の記憶がうすれて来る程、森の絵の記憶は鮮やかになって来る。 他郷に漂浪してもこの絵だけは捨てずに持って来た。額縁も古ぼけ、紙も大分煤けたようだが、「森の絵」はいつでも・・・ 寺田寅彦 「森の絵」
出典:青空文庫