・・・彼等が今日本の政治の末端に与っていると思えば、冷汗が出るのである。 しかし、私は何も自分が彼等にくらべて利巧であると思っているわけではない。周囲に阿呆が大勢いてくれたおかげで、当時の私はいくらか自分が利巧であるように思い込んでいたことは・・・ 織田作之助 「髪」
・・・自分としては非常に忸怩とした、冷汗を催される感じなんだが。――こうした悪虐な罪人がなお幾年かを続けねばならぬ囚人生活の中からただ今先生のために真剣な筆を走らしていますことは、何かしら深い因縁のあることと思います。ぶしつけな不遜な私の態度を御・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・ ――おまえは腋の下を拭いているね。冷汗が出るのか。それは俺も同じことだ。何もそれを不愉快がることはない。べたべたとまるで精液のようだと思ってごらん。それで俺達の憂鬱は完成するのだ。 ああ、桜の樹の下には屍体が埋まっている! い・・・ 梶井基次郎 「桜の樹の下には」
・・・まさに冷汗ものであったのである。宿の番頭は、妙な顔をしてにこりともせず、下駄をつっかけて出て行った。 私は部屋で先生と黙って酒をくみかわしていた。あまりの緊張にお互い不機嫌になり、そっぽを向きたいような気持で、黙ってただお酒ばかり飲んで・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・ と苦しそうな返事をなさったので、私は、はっとして、冷汗の出る思いでした。 うちで寝る時は、夫は、八時頃にもう、六畳間にご自分の蒲団とマサ子の蒲団を敷いて蚊帳を吊り、もすこしお父さまと遊んでいたいらしいマサ子の服を無理にぬがせてお寝・・・ 太宰治 「おさん」
・・・あやうく踏みとどまり、冷汗三斗の思いでこそこそ店内に逃げ込んだ。ひどいほこりであった。六、七脚の椅子も、三つのテエブルも、みんな白くほこりをかぶっていた。かれは躊躇せず、入口にちかい隅の椅子に腰をおろした。いつも隅は、男爵に居心地がよかった・・・ 太宰治 「花燭」
・・・これでは、まるで、二十年前の少年に返ったような、あまい、はしゃぎかたで、書いていながら冷汗が出る思いであります。けれども、悪びれず、正直に申し上げる事に致しましょう。 私は極貧の家に生れながら、農民の事を書いた小説などには、どうしても親・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・、スイッチをひねった結果、さっと光の洪水、私の失言も何も一切合切ひっくるめて押し流し、まるで異った国の樹陰でぽかっと眼をさましたような思いで居られるこの機を逃さず、素知らぬ顔をして話題をかえ、ひそかに冷汗拭うて思うことには、ああ、かのドアの・・・ 太宰治 「喝采」
・・・私を見て、おう、いい奥さんだ、お武家そだちらしいぞ、と冗談をおっしゃったら、あなたは真面目に、はあ、これの母が士族でして、などといかにも誇らしげに申しますので、私は冷汗を流しました。母が、なんで士族なものですか。父も、母も、ねっからの平民で・・・ 太宰治 「きりぎりす」
・・・私はそれを読んで、暫時、たまらなかった。川の向う岸に石を投げようとして、大きくモオションすると、すぐ隣に立っている佳人に肘が当って、佳人は、あいたた、と悲鳴を挙げる。私は冷汗流して、いかに陳弁しても、佳人は不機嫌な顔をしている。私の腕は、人・・・ 太宰治 「作家の像」
出典:青空文庫