・・・北村君は十一の年までは小田原にいて、非常に厳格な祖父の教育の下に、成長した。祖母という人は、温順な人ではあったが、実の祖母では無くて、継祖母であった。北村君自身の言葉を借りて云えば、不覊磊落な性質は父から受け、甚だしい神経質と、強い功名心と・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・ 性質はまじめな、たいへん厳格で律儀なものをさえ、どこかに隠し持っていましたが、それでも趣味として、むかしフランスに流行したとかいう粋紳士風、または鬼面毒笑風を信奉している様子らしく、むやみやたらに人を軽蔑し、孤高を装って居りました。長・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・さきごろは又、『めくら草紙』圧倒的にて、私、『もの思う葦』を毎月拝読いたし、厳格の修養の資とさせていただいて居ります。すこしずつ危げなく着々と出世して行くお若い人たちのうしろすがたお見送りたてまつること、この世に生きとし生きて在る者の、もっ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ その家の御主人は厳格なひとで、私の帰宅のおそすぎる時には、こらしめの意味で門をしめてしまうのである。「いいわよ。」とお篠は落ちついて、「知ってる旅館がありますから。」 引返して、そのお篠の知っている旅館に案内してもらった。かな・・・ 太宰治 「チャンス」
・・・私は、それにきめてしまって、若い人たちの大胆さに、ひそかに舌を巻き、あの厳格な父に知れたら、どんなことになるだろう、と身震いするほどおそろしく、けれども、一通ずつ日附にしたがって読んでゆくにつれて、私まで、なんだか楽しく浮き浮きして来て、と・・・ 太宰治 「葉桜と魔笛」
・・・当時先生の宿は西子飼橋という橋の近くで、前記の化学のK先生と同宿しておられた。厳格な先生のところへ、そういう不届き千万な要求を持ち込むのだから心細い。しかられる覚悟をきめて勇気をふるって出かけて行ったが、先生は存外にこうしたわれわれの勝手な・・・ 寺田寅彦 「田丸先生の追憶」
・・・ 生徒にはそれでも相当に厳格であったらしい。舎監としてもかなりきびしいほうであったらしい。スリッパをはいて見回る、その足音を生徒がけむったがってスリッパというあだ名をつけていたそうである。生徒はまた亮に「たつのおとし子」というあだ名をつ・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・健全なる某帝国の法律が恋愛と婦人に関する一切の芸術をポルノグラフィイと見なすのも思えば無理もない次第である――議論が思わず岐路へそれた――妾宅の主人たる珍々先生はかくの如くに社会の輿論の極端にも厳格枯淡偏狭単一なるに反して、これはまた極端に・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・そういう教育を受ける者は、前のような有様でありますが社会は如何かというと、非常に厳格で少しのあやまちも許さぬというようになり、少しく申訳がなければ坊主となり切腹するという感激主義であった、即ち社会の本能からそういうことになったもので、大体よ・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・また個人の過失に対しては非常に厳格な態度をもっている。少しの過ちがあっても許さない、すぐ命に関係してくる。そうでしょう、昔の人は何ぞと云うと腹を切って申訳をしたのは諸君も御承知である。今では容易に腹を切りません。これは腹を切らないですむから・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
出典:青空文庫