・・・ その割に原稿は極めてきたなかった。句読の切り方などは目茶だった。尤も晩年のことは知らない。そのくせ書にかけては恐らく我が文壇の人では第一の達人だったろう。 修善寺時代以後の夏目さんは余り往訪外出はされなかったようである。その当時、・・・ 内田魯庵 「温情の裕かな夏目さん」
・・・二葉亭も一つの文章論としては随分思切った放胆な議論をしていたが、率ざ自分が筆を執る段となると仮名遣いから手爾於波、漢字の正訛、熟語の撰択、若い文人が好い加減に創作した出鱈目の造語の詮索から句読の末までを一々精究して際限なく気にしていた。・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・何様も十分調べて置いてシツッコク文字論をするので講者は大に窘められたのでしたが、余り窘められたのでやがて昂然として難者に対って、「僕は読書ただ其の大略を領すれば足りるので、句読訓詁の事などはどうでもよいと思って居る」など互に鎬を削ったもので・・・ 幸田露伴 「学生時代」
・・・ 一所の小学校に、筆道師・句読師・算術師、各一人、助教の数は生徒の多寡にしたがって一様ならず、あるいは一人あり、あるいは三人あり。 学校、朝第八時に始り午後第四時に終る。科業は、いろは五十韻より用文章等の手習、九々の数、加減乗除、比・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
出典:青空文庫