・・・肩を聳やかし、眉を高く額へ吊るし上げて、こう返事をした。「だって嫌なお役目ですからね。事によったら御気分でもお悪くおなりなさいますような事が。」奥さんはいよいよたじろきながら、こう弁明し掛けた。 フレンチの胸は沸き返る。大声でも出し・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・手頃な丸太棒を差荷いに、漁夫の、半裸体の、がッしりした壮佼が二人、真中に一尾の大魚を釣るして来た。魚頭を鈎縄で、尾はほとんど地摺である。しかも、もりで撃った生々しい裂傷の、肉のはぜて、真向、腮、鰭の下から、たらたらと流るる鮮血が、雨路に滴っ・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・――旅のあわれを味わおうと、硝子張りの旅館一二軒を、わざと避けて、軒に山駕籠と干菜を釣るし、土間の竈で、割木の火を焚く、侘しそうな旅籠屋を烏のように覗き込み、黒き外套で、御免と、入ると、頬冠りをした親父がその竈の下を焚いている。框がだだ広く・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・――心中の相談をしている時に、おやじが蜻蛉釣る形の可笑さに、道端へ笑い倒れる妙齢の気の若さ……今もだ……うっかり手水に行って、手を洗う水がないと言って、戸を開け得ない、きれいな女と感じた時は、娘のような可愛さに、唇の触ったばかりでも。」・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・弁当包みを枝へ釣る。天気のよいのに山路を急いだから、汗ばんで熱い。着物を一枚ずつ脱ぐ。風を懐へ入れ足を展して休む。青ぎった空に翠の松林、百舌もどこかで鳴いている。声の響くほど山は静かなのだ。天と地との間で広い畑の真ン中に二人が話をしているの・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・畳一枚ほどに切れている細長い囲炉裡には、この暑いのに、燃木が四、五本もくべてあって、天井から雁木で釣るした鉄瓶がぐらぐら煮え立っていた。「どうも、毎度、子供がお世話になって」と、炉を隔てて僕と相対したお貞婆さんが改まって挨拶をした。・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・その前に、彼は、いまごろどこをほってもみみずの見つからないことを知っていましたから、飯粒を餌にして釣る考えで、自分の食べる握り飯をその分に大きく造って持ってゆきました。 小川は、みんな雪にうずまっていました。また池にもいっぱい雪が積もっ・・・ 小川未明 「北の国のはなし」
・・・君のお父さん、釣るのはうまい?」「なにうまいもんか、いつも僕のほうがたくさん釣るのさ。ふなをあげるから、遊びにこない。」と、木田はすすめたのでした。「いこうか、じゃ、うちへ帰ったら、かばんを置いてすぐにね。」 遊びにゆく約束をし・・・ 小川未明 「すいれんは咲いたが」
・・・ 玄関の六畳の間にランプが一つ釣るしてあって、火桶が三つ四つ出してある、その周囲は二人三人ずつ寄っていて笑うやらののしるやら、煙草の煙がぼうッと立ちこめていた。 今井の叔父さんがみんなの中でも一番声が大きい、一番元気がある、一番おも・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
・・・山岸の一方が淵になって蒼々と湛え、こちらは浅く瀬になっていますから、私どもはその瀬に立って糸を淵に投げ込んで釣るのでございます。見上げると両側の山は切り削いだように突っ立って、それに雑木や赭松が暗く茂っていますから、下から瞻ると空は帯のよう・・・ 国木田独歩 「女難」
出典:青空文庫