・・・奥州名取郡笠島の道祖は、都の加茂河原の西、一条の北の辺に住ませられる、出雲路の道祖の御娘じゃ。が、この神は父の神が、まだ聟の神も探されぬ内に、若い都の商人と妹背の契を結んだ上、さっさと奥へ落ちて来られた。こうなっては凡夫も同じではないか? ・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・楽は小屋が焼け人形衣裳が焼け、松竹会長の白井さんの邸宅や紋下の古靱太夫の邸宅にあった文献一切も失われてしまったので、もう文楽は亡びてしまうものと危まれていたが、白井さんや古靱太夫はじめ文楽関係者は罹炎名取である尚子さんは、私に語った。因みに・・・ 織田作之助 「起ち上る大阪」
・・・延久代という名取名を貰っている阿久は一々節廻しを貶した。捕物の場で打出し。お神さんの持って来た幸寿司で何も取らず、会計は祝儀を合せて二円二十三銭也。芝居の前でお神さんに別れて帰りに阿久と二人で蕎麦屋へ入った。歩いて東森下町の家まで帰った時が・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
麦積山の調査が行なわれたのは四年ほど前で、その報告も、すぐその翌年に出たのだそうであるが、わたくしはついに気づかずにいた。だから名取洋之助君が撮影して来た写真の一部を見せられた時には、突然のことで、どうもひどく驚かされたのであった。そ・・・ 和辻哲郎 「麦積山塑像の示唆するもの」
出典:青空文庫