・・・ 森鴎外にしろ、夏目漱石にしろ、荷風にしろ、当時の社会環境との対決において自分のうちにある日本的なものとヨーロッパ的なものとの対立にくるしんだ例は、日本の文化史の上にどっさりある。漱石が生涯の最後に「明暗」をかきながら、自分の文学のリア・・・ 宮本百合子 「偽りのない文化を」
・・・アントニーを思い出し私は微笑した。夏目先生のところであったかヘクターと云う名の犬が居たのは。―― 此仔犬は、アントニーと云う貴族的な、一寸得意気な名などをつけられるような顔はして居ない。マークはよい。少し田舎めくが素朴な故意とらしくない・・・ 宮本百合子 「犬のはじまり」
・・・したがって、西欧の近代文学の中軸として発展してきた一個の社会人として自立した自我の観念も、日本ではからくも夏目漱石において、不具な頂点の形を示した。リアリズムの手法としては、志賀直哉のリアリズムが、洋画史におけるセザンヌの位置に似た存在を示・・・ 宮本百合子 「歌声よ、おこれ」
・・・ 夏目漱石の家が、泥棒に入られたのは、千駄木時代のことだったと思う。あの頃、千駄木あたりは、一体よく泥棒がいたんだろうか。藤堂さんの森をめぐるくねくねした小路は、泥棒小路と呼ばれていた。当時一仕事した連中は、何かの便利から、大抵そのうね・・・ 宮本百合子 「からたち」
・・・それと少し距離のある方面で働いているのは夏目君に接近している二三の人位なものでしょうか。小説以外の作品を出していられる諸君は数えません。 そこで私がそう云う諸君の下風に立っていて、何だか不平を懐いているものとでも認められているらしく見え・・・ 森鴎外 「Resignation の説」
・・・――もっとも技巧から言えばかなりに隙がある。夏目先生はカラマゾフ兄弟のある点をディクンスに比して非難された。その時私は承服し兼ねたが、しかし考えてみると私はディクンスの本体を知らない。それにドストイェフスキイには浪漫派らしい弱点がある。恐ら・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
・・・そこへ行くと夏目先生はやはり偉かったと思います。先生の教養の光は五十を越してだんだん輝き出しそうになっていました。若々しい弾性はいつまでも消えないでいました。 私は誤解をふせぐために繰り返して言います。この「教養」とはさまざまの精神的の・・・ 和辻哲郎 「すべての芽を培え」
・・・ このことにはっきりと気づいたのは、漱石の死後十年のころに、ベルリンで夏目純一君に逢ったときである。純一君は漱石が朝日新聞に入社したころ生まれた子で、漱石の没したときにはまだ満十歳にはなっていなかった。木曜会で集まっている席へ、パジャマ・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
一 夏目先生の大きい死にあってから今日は八日目である。私の心は先生の追懐に充ちている。しかし私の乱れた頭はただ一つの糸をも確かに手繰り出すことができない。私は夜ふくるまでここに茫然と火鉢の火を見まもっていた。 昨日私は先生に・・・ 和辻哲郎 「夏目先生の追憶」
・・・というのは、そのころ有名な学者や文人には、あまり高齢の人はなく、四十歳といえばもう老大家のような印象を与えたからである。夏目漱石は西田先生の戸籍面の生年である明治元年の生まれであるが、明治四十年に朝日新聞にはいって、続き物の小説を書き始めた・・・ 和辻哲郎 「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」
出典:青空文庫