おおくぼただたか【大久保忠教】
⇒大久保彦左衛門 (おおくぼひこざえもん)
おおくぼただちか【大久保忠隣】
[1553〜1628]江戸初期の譜代大名。小田原6万5千石の領主。はじめ徳川家康の近習となり、のち秀忠付の家老。秀忠将軍就任後その老中をつとめ権勢を振るうが、讒訴 (ざんそ) によって改易。
おおくぼただひろ【大久保忠寛】
[1818〜1888]江戸末期の幕臣。隠居後、一翁と称する。老中阿部正弘に登用され、目付など諸役職を歴任。戊辰戦争では勝海舟とともに江戸城明け渡しに尽力。新政府にも仕えた。
おおくぼとしみち【大久保利通】
[1830〜1878]政治家。薩摩 (さつま) 藩出身。討幕派の中心人物で、薩長同盟の推進者。版籍奉還・廃藩置県を敢行し、西郷隆盛らの征韓論に反対。参議・大蔵卿 (おおくらきょう) ・内務卿を歴任、明治政府の指導的役割を果たした。不平士族により暗殺された。維新の三傑の一人。
おおくぼながやす【大久保長安】
[1545〜1613]江戸初期の金山奉行。甲斐の人。徳川家康に仕え、石見 (いわみ) 銀山・佐渡金山・伊豆金山を開発。その死後、不正があったとして遺子全員が切腹を命じられた。
おおくぼひこざえもん【大久保彦左衛門】
[1560〜1639]江戸初期の旗本。本名は忠教 (ただたか) 。徳川家康・秀忠・家光の3代に仕え、三河に2千石を領した。その知略・奇行に関する多くの逸話がある。著「三河物語」。