・・・私たちは体をもまれるように感じながらもうまくその大波をやりすごすことだけは出来たのでした。三人はようやく安心して泳ぎながら顔を見合せてにこにこしました。そして波が行ってしまうと三人ながら泳ぎをやめてもとのように底の砂の上に立とうとしました。・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・ が、その凄じさといったら、まるで真白な、冷い、粉の大波を泳ぐようで、風は荒海に斉しく、ごうごうと呻って、地――と云っても五六尺積った雪を、押揺って狂うのです。「あの時分は、脇の下に羽でも生えていたんだろう。きっとそうに違いない。身・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・ 私の耳を打ち、鼻を捩じつつ、いま、その渦が乗っては飛び、掠めては走るんです。 大波に漂う小舟は、宙天に揺上らるる時は、ただ波ばかり、白き黒き雲の一片をも見ず、奈落に揉落さるる時は、海底の巌の根なる藻の、紅き碧きをさえ見ると言います・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・ この騒ぎは――さあ、それから多日、四方、隣国、八方へ、大波を打ったろうが、――三年の間、かたい慎み―― だッてね、お京さんが、その女の事については、当分、口へ出してうわささえしなければ、また私にも、話さえさせなかったよ・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・また、大波の渦巻いているところがある。魔物のすんでいる深い海をも通らなければならない。その用意が十分できるなら、ゆけないこともないだろう。」と、なんでも知っている老人は答えました。 考え深い、また臆病な人たちは、たとえその準備に幾年費や・・・ 小川未明 「明るき世界へ」
・・・爺と子供の二人は、ガタガタと寒さに体を震わして岩の上に立っていますと、足先まで大波が押し寄せてきて、赤くなった子供の指を浸しています。二人は空腹と疲労のために、もはや一歩も動くことができずに、沖の方をながめて、ぼんやりと泣かんばかりにして立・・・ 小川未明 「黒い旗物語」
・・・宝石商は、また、これからの長い旅のことなどを考えていましたときに、不意に大波がやってきました。そして、そばに置いた宝石の包みをさらっていってしまったのです。 宝石商は、気が狂わんばかりにあわてたのです。けれど、どうすることもできなかった・・・ 小川未明 「宝石商」
・・・たちまち、ざぶりと大波が押し寄せ、その内気な遭難者のからだを一呑みにして、沖遠く拉し去った。 もはや、たすかる道理は無い。 この遭難者の美しい行為を、一体、誰が見ていたのだろう。誰も見てやしない。燈台守は何も知らずに一家団欒の食事を・・・ 太宰治 「一つの約束」
・・・先年小田原の浜べで大波の日にヘルムホルツの共鳴器を耳に当て波音の分析を試みたことがあったが、かなりピッチの高い共鳴器で聞くとチリチリチリといったように一秒間に十回二十回ぐらいの割合で断続する轢音が聞こえる、それがいくらかこの蝗群の羽音に似通・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・哀れな姫君の寝姿がピアニシモで消えると同時に、グヮーッとスフォルザンドーで朗らかなパリの騒音を暗示する音楽が大波のようにわき上がり、スクリーンにはパリの町の全景が映出される。ここの気分の急角度の転換もよくできている。 モーリスがシャトー・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
出典:青空文庫