・・・と松木が又た口を入れたのを、上村は一寸と腮で止めて、ウイスキーを嘗めながら「断然この汚れたる内地を去って、北海道自由の天地に投じようと思いましたね」と言った時、岡本は凝然と上村の顔を見た。「そしてやたらに北海道の話を聞いて歩いたもん・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・ 天地の大道に則した善き人間となりたいという願い、『教養と倫理学』――の中に私が書いたような青春のなくてならぬもひとつの要請と、やむにやまれぬこの恋のあくがれとを一つに燃えさしめよ。 善によって女性の美を求め、女性の美によって善を豊・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・切詰めた予算だけしか有しておらぬことであるから、当人は人一倍困悶したが、どうも病気には勝てぬことであるから、暫く学事を抛擲して心身の保養に力めるが宜いとの勧告に従って、そこで山水清閑の地に活気の充ちた天地の気を吸うべく東京の塵埃を背後にした・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・要するに新旧いずれに就くも、実行的人生の理想の神聖とか崇高とかいう感じは消え去って、一面灰色の天地が果てしもなく眼前に横たわる。讃仰、憧憬の対当物がなくなって、幻の華の消えた心地である。私の本心の一側は、たしかにこの事実に対して不満足を唱え・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・其処で、彼女は仕方なく天地をお創りになった神に向い、どうか、此世にない程の力を授けて下さるように、驚くべき奇蹟で、プラタプに「や! 此がお前に出来ようとは思わなかった」と、喫驚、叫ばせてやることが出来ますように、と祈るのでした。・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・貴族院議員、勲二等の御家柄、貴方がた文学者にとっては何も誇るべき筋みちのものに無之、古くさきものに相違なしと存じられ候が、お父上おなくなりのちの天地一人のお母上様を思い、私めに顔たてさせ然るべしと存じ候。『われひとりを悪者として勘当除籍、家・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・ドリスがいかに巧みに機嫌を取ってくれても、歓楽の天地の閾の外に立って、中に這入る事の出来ない恨を霽らすには足らない。詰まらない友達が羨ましい。あの替玉の銀行員が、新しい物を見て歩いているのも羨ましい。いくら端倪すべからざるドリスでも、もう眺・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・ 頭脳がぐらぐらして天地が廻転するようだ。胸が苦しい。頭が痛い。脚の腓のところが押しつけられるようで、不愉快で不愉快でしかたがない。ややともすると胸がむかつきそうになる。不安の念がすさまじい力で全身を襲った。と同時に、恐ろしい動揺がまた・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・次におもしろいと思ったのは、舞台面の仮想的の床がずっと高くなり、天井がずっと低くなって天地が圧縮され、従って縮小された道具とその前に動く人形との尺度の比例がちょうど適当な比例になっているために、人形のほうが現実性を帯びるとともに人形使いのほ・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・人間が懺悔して赤裸々として立つ時、社会が旧習をかなぐり落して天地間に素裸で立つ時、その雄大光明な心地は実に何ともいえぬのである。明治初年の日本は実にこの初々しい解脱の時代で、着ぶくれていた着物を一枚剥ねぬぎ、二枚剥ねぬぎ、しだいに裸になって・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
出典:青空文庫