・・・おまえが一人選んだら、俺たちあとに残された四人は、きれいに未練を捨てて、二人がいっしょになれるように、極力奔走する。成功させるためにきっと尽力する。だからおまえ、本気になってこの五人の中から選ぶんだ。そこに行くと俺たちボヘミヤンは自由なもの・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・侠気と同情に富める某氏は全力を尽して奔走してくれた。家族はことごとく自分の二階へ引取ってくれ、牛は回向院の庭に置くことを諾された。天候情なくこの日また雨となった。舟で高架鉄道の土堤へ漕ぎつけ、高架線の橋上を両国に出ようというのである。われに・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・この快楽を目して遊戯的分子というならば、発明家の苦辛にも政治家の経営にもまた必ず若干の遊戯的分子を存するはずで、国事に奔走する憂国の志士の心事も――無論少数の除外はあるが――後世の伝記家が痛烈なる文字を陳ねて形容する如き朝から晩まで真剣勝負・・・ 内田魯庵 「二葉亭四迷」
・・・生島はその年の春ある大学を出てまだ就職する口がなく、国へは奔走中と言ってその日その日をまったく無気力な倦怠で送っている人間であった。彼はもう縦のものを横にするにも、魅入られたような意志のなさを感じていた。彼が何々をしようと思うことは脳細胞の・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・ 人々は非常に奔走して、二十人の生徒に用いられるだけの机と腰掛けとを集めた、あるいは役場の物置より、あるいは小学校の倉の隅より、半ば壊れて用に立ちそうにないものをそれぞれ繕ってともかく、間に合わした。 明日は開校式を行なうはずで、豊・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・然し事実全くそうで、黒田という地主の娘玉子嬢、容貌は梅子と比べると余程落ちるが、県の女学校を卒業してちょうど帰郷ったばかりのところを、友人某の奔走で遂に大津と結婚することに決定たのである。妙なものでこう決定ると、サアこれからは長谷川と高山の・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・正作は五郎のために、所々奔走してあるいは商店に入れ、あるいは学僕としたけれど、五郎はいたるところで失敗し、いたるところを逃げだしてしまう。 けれども正作は根気よく世話をしていたが、ついに五郎を自分のそばに置き、種々に訓戒を加え、西国立志・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・ 翌日は熊吉もにわかに奔走を始めた。おげんは弟が自分のために心配して家を出て行ったことを感づいたが、弟の行先が気になった。ずっと以前に一度、根岸の精神病院に入れられた時の厭わしい記憶がおげんの胸に浮んだ。旦那も国から一緒に出て来た時だっ・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・ほとんど一日がかりでその日の用達に奔走し、受け取った金の始末もつけ、ようやく自分の部屋にくつろいで見ると、肩の荷物をおろしたような疲れが出た。 私は、一緒に帰って来た次郎と末子を、自分のそばへ呼んだ。銀行へ預けた金の証書を、そこへ取り出・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・火事は一夜で燃え尽しても、火事場の騒ぎは、一夜で終るどころか、人と人との間の疑心、悪罵、奔走、駈引きは、そののち永く、ごたついて尾を引き、人の心を、生涯とりかえしつかぬ程に歪曲させてしまうものであります。この、前代未聞の女同士の決闘も、とに・・・ 太宰治 「女の決闘」
出典:青空文庫